八観六験(はちかんろくけん)ね

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中国の戦国時代に編集された『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』に記されている「八観六験(はちかんろくけん)」というものがある。

これは当時の人の見定め方という物らしい。

検索すると、下記のような解説が出るが、ちょっと怖いと思ったのが、これはそうだなとこの言葉を知った書籍と解釈が違うんだよな。

ネットで検索すると下記のように出てくるが、最近メルカリで購入した月間致知というところで故安岡正篤(やすおかまさひろ)氏の直接の子孫の方との解釈が異なっており、同じ言葉でもこれほど意味が違うのかと正しい情報に触れること自体の難しさも感じたのだ。

ただ、人を見極めるのに人を試すってのはやはりどの時代でも行われていた事で、自然とやっていたことも多かったんだがこれはそうだなと思う事もあったので今日のネタにする。

まあ、違う部分があるなと思ったネットの解釈は下記の通り。

【六験】

之を喜ばしめて、もってその守を験(ため)す→喜ばせて、節操の有無をはかる(ネット情報)→外してはならない道理を守れるかを試す(書籍情報)

之を楽しましめて、もってその僻を験す→楽しませて、偏った性癖をはかる(ネット情報)→人間的な偏りを試す(書籍情報)

之を怒らしめて、もってその節を験す→怒らせて、節度の有無をはかる

之を懼(おそ)れしめて、もってその特(独)を験す→恐れさせて、自主性の有無をはかる

之を哀しましめて、もってその人を験す→悲しませて、人格をはかる

之を苦しましめて、もってその志を験す→苦しませて、志を放棄するかどうかをはかる

【八観】

貴(たか)ければ、その進むる所を観る→出世したら、どんな人間と交わるかを観る(ネット情報)→どういう人を尊敬するかを見る(書籍情報)

富めば、その養う所を観る→豊かになったら、どんな人間を養うかを観る

聴けば、その行なう所を観る→善いことを聞いたら、それを実行するかを観る

習えば、その言う所を観る→習熟したら、発言を観る

止(いた)れば、その好む所を観る→一人前になったら、何を好むかを観る

窮すれば、その受けざる所を観る→貧乏になったら、何を受け取らないかを観る(ネット情報)→困った時に何を受けとらないかを見る(書籍情報)

賤(せん)なれば、その為さざる所を観る→落ちぶれたら、何をしないかを観る

通ずれば、その礼する所を観る→昇進したら、お礼を仕事で返すかどうかを観る(ネット情報)→順調に物事を進んでいる時に何に礼を持って接するかを見る(書籍情報)

まあ、この中で一番人を見るのに最適なのが、これだと思うんだよな。

賤(せん)なれば、その為さざる所を観る→落ちぶれたら、何をしないかを観る

あとはこれ。通ずれば、その礼する所を観る

フラットさって結構大事だと思っていて、相手の状況や自分の状況において接し方がそもそも変わる人とはあまり関わっていない。

私自身が、基本的に誰に対しても常にフラットなので、もちろん何かあればそうじゃなくなることもあるが、自分の中ので関わっていい人か関わってはいけない人かの振り分けが終われば、振り分け前と振り分け後で私自身で接し方が変わる事はない。

けれども・・・

賤(せん)なれば、その為さざる所を観る→落ちぶれたら、何をしないかを観る

窮すれば、その受けざる所を観る→貧乏になったら、何を受け取らないかを観る(ネット情報)→困った時に何を受けとらないかを見る(書籍情報)

この二つが一番人間性が出る部分だと思うんだよな。

よくある言葉が「借りるときの仏顔。返すときの鬼の顔」

人はお金を借りるときは、笑顔になって、

なんとか貸してもらえるように下手に出るのだけれど、

なかなか返してくれないから催促すると、鬼の形相になるという話

「あの時、用立ててもらえて本当に助かりました」と感謝してもらえることはむしろ少ない。

でも、本当にここって重要で・・・・

賤(せん)なれば、その為さざる所を観る→落ちぶれたら、何をしないかを観る

私自身は生き残るためには基本的に何でもやると思っているけれども・・・・

それでも自分の中のルールがあって、特定の個人に対して被害になるような事はしてはならないと思うのだよな。

自分の被害というか損失を他人に着せればいいという発想はこれはもう人として再浮上の可能性は皆無になる。

組織とかであれば特定の誰かが被害に遭うわけでもないし、致命傷にもならないだろうけれども、特定の個人は致命傷になり得る。

だから結構オレオレ詐欺は個人的には嫌悪感が強い。

確かに金にはなるかもしれないが、弱者から致命傷になるような事すんなよなと思うんだよな。

ある意味強者であれば騙される方が悪いと思えるけれども、弱者は立ち直る力も残っていない事が多いし、本当に致命傷になり得る。

まあそれでも自分の都合で特定の個人を被害者にすることを1度でもするような人とは関わっちゃならないと思うのと共に・・・・

結果的に信用を失うと2度とチャンスが訪れず、世界が閉ざされていく。

縁尋機妙。多逢聖因(えんじんきみょう。たほうしょういん)

この言葉も月間致知から学んだのだけれども・・・・

縁尋機妙(えんじんきみょう)
「良い縁からさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある」

多逢聖因(たほうしょういん)
「良い人に交わっていると、気づかないうちに良い結果に恵まれる」

これも実体験上本当にそうだなと思うんだよな。

ただ、人間性が相応じゃないとなかなかそうはならない。

けど考えてみればうちの飲食店のスタッフも金を抜くようなスタッフはいないし、接客に問題があるスタッフは一人いるけれども・・・

それも学びだと思うべきかもしれないよな。

考え方としてはすぐにはそう思えないよなと思ったけれども・・・・

ラミールという会社の社長に河村氏という女性の社長がいる。

今はエステのコンサル会社のようなのだけれども・・・

その人が影響を受けた言葉というのが経営というのは経営者で95%決まるという言葉で・・・・

それまでは社員が悪いと思っていて社員を変えようとしていたらしいが、自分が変わればいいと変えてから変わると社員が変わっていったという話。

この記事でも記載したけれども・・・・

アンテナの感度が変わっているのか・・・ 何か正解に誘導されているような気がしてくる・・・ たまたまネットで見つけた記事が全部自分...

職場が好きで楽しいホテルマンは最高のサービスを提供するという話・・・

経営側が変わらなければ中身は当然変わらないよな。

ただずっと営業やっていて思うけれども、信用は最も重要でちゃんと堅持していれば時間はかかるけれども必ず集客はできる。

と話はずれたが・・・・

この女性社長の河村氏・・・

旦那さんがニートで遊び呆け、借金を繰り返し、多重婚約をして帰宅するような旦那さんで・・・・

光熱費の半年の滞納や早朝から借金取りの督促を受けていたらしいのだけれども・・・・

今ではその亡くなった旦那さんを菩薩だと思っているらしい。

凄い考え方に至っているなと思うんだけれども・・・

でもそれが本来考え方としては正しいんだろうな。

酷い旦那さんね、離婚すればは普通の話。

でも、それって可能性を感じる考え方ではないよね。

観音菩薩は三十三身に身を変えて人を救うらしいのだけれども、この旦那さんも一番嫌な姿になって自分に欠けていた物を教えてくれたって考えているらしいのだ。

純粋にすげえなと思うけれども・・・

でも多分、考え方ってそうじゃなきゃ望みに近づかないと思うんだよな。

私もラッキーしか起きないと決めているけれども・・・・

ここまでのレベルには至っていないけれども・・・・

類似しているなと思うのだ。

嫌や姿をしている人がどん底を経験させて学ばせてくれていると考えるのと、一見どん底の見えるような事もラッキーであるための理由があると考えること。

言葉やニュアンスが違うようだけれども、でも本質的には同じだよなと思うのだ。

まあ、普通の人が読んでいないであろう致知・・・

メルカリで歯抜けでもいいから購入して読もうと思っている。

kindleがないのがちょっとだけれども・・・