ナゾラーランドとかアトランティスの謎とかファミコンソフトのソフト名が思い浮かんだ。
急に脱線するのだけれども、秋葉原に行ったら買おうと思っている物がある。
それが「このみのモンスターパーティ 美少女麻雀外伝」というゲームインパクトから発売の家電のケンちゃんのファミコンカセットだ
これ買って新品で寝かせておこうと思っている。
2024年4月28日に発売されたファミコンソフトなんだが、およそ20年ぶりの発売らしい
価格もなかなかだけれども、結構ニュースでやっているが買う人少ないんじゃないかと思うのだ。
これを新品で開封せずに20年くらい寝かせてやろうと思っているんだが、どうだろうか
2個購入してやった
何もしない事は誰にでもできるけれども、私は常に何かをする人になったのだ。
普通に考えて現役でファミコンをしている人もいないだろうし、中古でメルカリででたら買い占めてやるくらいに意気込みだ。
それほど売れるような物ではないと思っているのと、売れたとしても寝かせようとか考えるの人はそんなにいないと思うんだよな。
しかも再販されるくらい人気なら、初版の方は価値が上がりそうだし。
駄目でも26000円位
馬券でちょっと単勝を入れればそのくらいの価格になる。
購入して忘れているくらいで多分丁度いい。
一番大事な事は開封しない事だよな。
初代IPODのフィルム包装を剥がしていない奴ってオークションで1億円超えるけど、フィルム剥がすと20万円になってしまうらしい。
ファミコンゲームも高い物は1本で100万円超えているし、時間の経過と共に稀少性は増していく。
こんな意味不明な物を持っていてもいいんじゃないかと思うのだ。
ラッキーしか起きないと決めた私の感性が推しているので、どこかで噴くんじゃないかと勝手に思っている。
まあ噴かなくてもいいんだけれども、家宝とかマジックで書いて箱に入れておこうかとかくだらない事を考えてしまう。
でもって、今週は安田記念
当然のようにNスポします。
締め切りは6月2日のAM9時までです。
ぱっと見ロマンチックウォリアーでいいんじゃないのと思うんだけれども何番人気かだよね。
多分、1番人気なんで、1番人気だったら頭では買わないし、軸にもしない。
2番人気以下で本命予定
これが先行だったり、逃げだったら思いっきり下げる
サイレントウィットネスが3着だったこともあり、安田記念で逃げ切ったのってすべてが噛み合ったロゴタイプくらいしか思い浮かばない。
基本的に切れ味とスタミナの両方が必要
そういう考え方で見ていくと・・・
ガイアフォースが良さそうに見えるけれども、多分人気・・・
誰が乘るかにもよるがジオグリフって言う選択肢もない事はない感じがするが後ろからではないんだよな。
できれば後ろの馬を買いたい
何気に再度ステラヴェローチェの選択肢はありかもなと思えている。
これも騎手次第だけれども・・・・
セリフォスは無難に見えるが頭ではないよなあ・・・・
ソウルラッシュは短期免許のかかったモレイラか・・・・
来てもおかしくはないがそそらない
逆に人気落としていたらナミュールとか良さそうだけれどもな。
だとしたら藤岡裕介に乗ってもらいたいが
ヴォイッジバブルというもう一頭の香港馬が後ろからの馬ならこれを本命にするかもしれない。
懐かしのフェアリーキングプローンを本命にした時を思い出す。
さて、昨日は競馬サークルでフレンチと酒でダービーを観戦してきた。
フレンチのシェフは腕があるんだが、もう料理の仕事がなくて警備員をしている。
半分、大好きな料理の仕事をしてもらうためにお願いしているようなものなんだけれども、結構ドタキャンとかで割に合わないんだよなあ・・・
ただ、腕がある人に好きな仕事をしてもらいたいっていう気持ちだけでやっているんだけれども・・・・
これって偽善なのかもなとか思うのだよな。
確かに良くなってほしいけれども、上がり目0の人にどうにかそのプライドを満たすための仕事を作り出していても根本的に何も変わるわけではなく、ただ引導が渡らないようにしているだけ。
私の自己満足の偽善なのかもなとちょっと思ってしまったのだ。
参加者の人にも、参加者の人が「いい人であること」の強要になってしまっているかもしれないし。
シェフの痩せ方を見てあと何年も持たないだろうなと思ったのもあるのだけれども、偽善と善意の境界線に迷うよね。
そしてよく思うのが、最近優しさにもよく私は迷子になる。
自分のプライドというか、矜持かもしれないけれども、優秀とは優しさに秀でると書く
優しくなくては人間の格として落ちるよねとか勝手な学歴主義じゃないが優秀主義に陥っている。
有名な言葉が今更ながら沁みる。
それが・・・
「強くなくては生きてはいけない、優しくなければ生きる資格がない。」
という言葉
検索すると・・・・
レイモンド=チャンドラーの小説 『プレイバック』の話らしい
ハードボイルド小説の主人公、探偵のフィリップ=マーロウが、「あなたのように強い人が、なぜ、そんなに優しくなれるのか?」と問われて答えた名言だそうだ。
生まれたままの人間は、強くも、優しくもない。
むしろ弱く情けないのに、わがままで尊大にふるまい、自分には甘く、他人にはつらく当たる。そのような未熟な人間が、人生というフィールドを駆けぬける中でおのれを鍛え、強く生きることによって強い人になり、優しく生きることによって優しい人になる。
愛するものを守るために人は強くなれるし、真に強いものは愛するものを守りぬく勇気をもつ。いかに生きるかが、いかなる自分になるかを決める。誰もが、強くて優しい人生の主人公になれるとのこと
例えばだけれども、時間を使えない対象に対して自分が悪者になって、嫌われるように持っていくのもそれはそれで優しさのようで、自分が悪い方が楽だからとか思わされることもあるし、相手に傷を残してもはっきりと伝えた方が相手のためになるかもしれないけれども、偽善が自分を悪者にする方がすべて丸く収まるから本当の優しさだとか都合よく囁いたりもするしな。
でも、根本として主体が自分の人はつまらない。
発想の起点が相手ありきの発想じゃない人は関わっちゃいけないと思うんだよな。
ラッキーしか起きないと決めている私の世界で言えば、ラッキーだからこそ、私は自分ありきの層に属さないで済んでいるかもしれないが、境界線は難しいな。
こうありたいという私の優しさマウンティングの偽善なのか、それとも純粋に相対的に多少の優しさを持ち合わせているのか。
答えは分からないし、分かろうとも思わないけれども。
まあ、酔っ払いながらも先日紹介した日刊スパのPATOさんの文章を書く本のように、面白味は感情にあるとしたら、いかにギャンブルに勝つためには不要なものだとしても、感情を伝えないと誰も楽しくない。
伝える意思がない文章と感情がない文章は無駄なんだよと言う言葉がちょっと刺さっている。
だからこそ、自分なりの答えは決まっているのに、逡巡の感情を書いてみようかとか思ったりするんだよな。
そして、ジンビームのハイボールは美味い
酔っ払いの戯言を書けばそれでいいのかもしれない
コメント
Nスポお願いします!
◎04:ジオグリフ
○13:ステラヴェローチェ
▲15:ヴォイッジバブル
△09:パラレルヴィジョン
馬場も渋って荒れそうな気がしてるんですが、どうですかね・・・