さて、安田記念終わってしまうと重賞も規模感が小さくなるのね・・・
エプソムカップも見てみたけれども12頭立て・・・
買ってはいけいないレースだ。
ぱっと見これならレーン騎手で良いんじゃないのと思えてしまったけれども。
そして、今日の後輩の配信見ていたんだが・・・・
これ、多分絶対に近い奴だなと思うのだ。
ただ、オッズがどうしても合わない。
頭で買えばまあ当たるだろうと思えるのだけれども、でもどうしてもリスクとリターンが合わないのだよな。
最近本当に当たり馬券のオッズだけが確定オッズで下がる。
Aiってすげえなって思うのだが、オッズの下振れまでは予測できないようだ。
馬場を見て、午後の配信で推すか推さないかが決まるようだが、馬単で絞れば買えるオッズになるんだろうか。
けれども、2着候補は絶対を感じる馬じゃないしな・・・
まあなので絶対だろうなと思いながら回避なんだけれども・・・
最近、感性が真逆なんだよな。
安田記念も田辺騎手が乗って前が空かないなんて乗り方するとは思っていなかったしな・・・
後輩の本命がソングラインだったので素直にそこから買っていれば普通に当たったのに、自分の感性を上位にとったらひどい目に・・・・
最近競艇がやたら人気だけれども・・・
競艇は組み合わせ的に勝者不在のギャンブルだと思うのだよな。
5連単とかあるなら話は別だが、組み合わせ数が少なすぎて差が出ない。
それにしても、思うんだけれどもギャンブルの勝者って見ていると、自制心の塊だよね。
結局、勝ち方や、勝つ方法が分かっていたとしても、それを愚直に忠実に実行し続ける事の方が難しい。
余計な事をしてしまったり、欲に負けたり、張りたい感情に負けたりして、勝つ理論を持っていたとしてもそれを継続して実行し続ける事ができない。
理論よりも先にメンタルなんじゃないかとこのごろ思うのだ。
分かっている事を分かっている通りに、それこそマニュアル通りに再現する事。
それができないとどんな理論も予想もツールも意味がないんだよな。
同じ手法をしていて勝つ人間がいるのと負ける人間がいるのはそんな心の問題だなと思わされる。
コメント
インスタントジョンソンのじゃいさんが税金で破産したという動画を見ました。
破産レベルのダメージという意味かも知れませんし、実際はどうか分かりませんが・・
法律上では仕方ないと言う人もいると思いますが、百歩譲って浮いた分に税金なら分からなくないけど、払い出しに対してですからね・・
紙なら把握できず、ネット・メディアなどや高額当選などで把握されれば税金払えも不公平感がありますよね。
勝ち過ぎたら税金払え。負けても年間の払い出しが多ければ税金払え。負けてるだけなら税金払わなくて良いよというシステムなら誰もやらなくなります。
天牌という麻雀漫画で入星祥吾というキャラがこのようなセリフを言ったのを思い出しました。以下セリフです。
「どこぞの世界で負けた銭をカツアゲする畜生道を学んできたんだ えっ!」
ニュアンスがちょっと違うかも知れませんが、勝った人間やお金に対して難癖つけて、その人間を貶めたり、勝った金をカツアゲするような事があって良いのだろうか?
勝ち負けに対してチャチャを入れているようで、勝負を冒涜しているように感じてしまう。勝負が決着した後は勝ったか負けたかだけで良い。ごちゃごちゃ余計な事は要らないかと。
本当に胸糞悪くなる話です。ヤクザだってこんな非道な事しませんよ。法改正して欲しいですね本当に。
馬券裁判の卍氏の判例では外れ馬券は経費控除が認められたはずですけれどもね。
競艇とかも同じだとは思うのですが、明治時代の法は現代には即していない気がしますよね。
日本は昔から梟首とか市中引き回しとか見せしめになる魔女狩りによる生贄を求める国ですので、お笑いの宮迫なんかもそうだなと思うですが、白羽の矢が立ったら問答無用で生贄に出さなきゃならなくなるのが個人としては私も気に入りません。
特定の個人を勝手な正義の御旗の元で貶めたなら、万が一自分が同じ立場になった時に許されない覚悟を持ってやれよと思ってしまうのですが、逃げ切れちゃう人もいるのがよくないですよね。