先週、真犯人は誰かと記載した記事に・・・
以前からコメントをいただいていた読者の方からコメントを貰った。
そのコメントの中で面白いと思ったのが下記の部分・・・・
>既に収益先がいくつかあったり、世間様よりある程度は環境が満たされているような人がギャンブルに手を出すと、何らかの法則が働くのか知りませんが、帳尻合わせに>なって収入が周りと均衡化するようにお金を吸われていく気がします。
>見送ったレースで単勝万馬券がここ数ヶ月で5回以上ありますし、降りた途端に買っていれば的中、という結果が統計を取ってもあまりに多いです。
>意識が世界を決定付けるという量子力学とかパラレルワールドすらあるのでは?と考えてしまいます。
このコメントを見た時にぱっとこの記事の事が思い浮かんだ。
麻雀放浪記の雀聖と呼ばれた故阿佐田哲也氏でこの方もギャンブルに魅入られた方の一人で、誰よりもギャンブルについて考えてきたのだと思う。
その御方が純粋に人の運は不運とバランスシートで均衡を保っており、どちらかに寄っている人はいないと考えているのだ。
つまり、ツイテイル人ってのはどこかでその対価を支払っている。
そうとも取れると思うのだよな・・・
何らかの法則がこの対価にあたる部分なのではないかと思うのだが・・・・
確かに、再度宇宙一ツイていることを思い出してから私はツイている。
会社の体質自体はあれだけれども、放っておいても受注できる案件がバシバシ話来るようになったし、「香水」の曲のように別に結果を求めていないけれども会社員としての仕事は順調だ。
こんなの順調でも私にとってのメリットは何もなく、営業としてのプライドが守られるだけなんだけれども・・・
けれども新規を誰よりも勝手に取っていると思われるので自由にしていられるのはメリットかもしれない。
手も抜きながらでも結果を出せているし、ただ先日手を抜いて出る80点の人よりも一生懸命の75点を評価するなんてバイトを使うカウンターの内側の人の話を聞いて、面白いと思った反面・・・・
確かに私の80点の取り方じゃいくら結果を出しても評価されないなと思ったけれども、人の評価が良くても悪くても、何かを自分で行動しなきゃ何も起きないので意味はない。
それこそちょっと前に記載した結果を決める人に都合の良い結果に買えてもらうのであれば話は別だが、私はそれができないしやりたくない。
まあ、評価されないその分、会社の提出物は出さないわ、勤務報告はしないわ、会社に入力を求められているデーターも入力しないわとやりたい放題。
業務命令でもジャイアントスイングのように振り回されるので。自分で考えて判断し、NOは言わないが、ガンジー作戦で無抵抗、不服従だ
自分で考え、現実的でなかったり、非効率だったり、結果的に会社にとって言うほど利益ないと自分が思う場合は抵抗しないけれどもやらない。
新規案件獲れてなければ絶対にできないなと思いつつ・・・・
詰められるけれども、言うほど詰められない。
人に何も言わせない仕事をするという体を取っているが、受注の不調が来たら復讐するかのようにぼこぼこにされるんだろうな。
ただ、相変わらずポコポコ人が辞めるのと仕事をちゃんとする良い人が魔女狩りの魔女になる傾向があるので・・・・
いつ何時辞めても良い準備と覚悟は常に持っていないといけない会社だという認識がある。
ある日突然辞めるんだろうなと確信を抱いているので、所属している状態を安定と言えないからできるのもあるんだよな。
どうせ長くは勤められない会社という認識でいるからそういうところにロイヤリティーを持っても仕方がない。
まあそれでやれているのがラッキーと言えばラッキーなんだよな。
そして、前の会社がまたもや退職ラッシュ・・・
そうなる前にいち早く気づいて脱出していることもツイている。
今思えば、当時は物凄くいい会社だったなと。
けれども、今はそうじゃないので脱出のタイミングも含めてツイているなと思っている。
メッセージが届くものな、ちゃんと。
今の仕事と同じスタイルで言わせない仕事を狙っていたので、東京営業所で一番売り上げがあった私を政治的な理由で邪魔だから転勤とか言われ、トップが自分の政治的保身のためだけの節穴かと思わされる行動をとり、これがトップ続けるようなら先がないなというメッセージを受け取って即日退社を決意し、転職活動をした。
そしたらそれからわずか3年で本社からスピンオフされ会社は風前の灯で今や将来性の無さから退職ラッシュ。
今の会社見ても比較にならないほど優秀な人たくさんいたのに、勿体ない。
そう考えるとやはり降り時もツイている。
優秀な人との縁にも恵まれているし、チャンスやヒントも多数与えられている。
なんでも実行すると決めて、常識的に考えれば狂気の沙汰としか思えない赤字飲食店の営業継続を決めてやってみたら、今までに一度もなかったような飲食店の政府の救済の恩恵を受け、たまたまやったり、たまたま引き継いだからという理由だけで、丁度いいタイミングの良いところ取りができている幸運が与えられたのも事実。
けれども・・・
その対価として、父が他界した年から競馬の噛み合わなさが酷い。
あれだけ研究し、時間をかけ、完璧な答えを出して、期待値を稼いでいるのに・・・・
2019年は自分のミスもあったが、2020年から2021年にかけて裏目の連続性が酷い。
裏目になるようになるように、結果が姿を変形させているイメージなんだよな・・・
本当に何かの法則が働いているかのように・・・
アメーバのように他のラッキーのバランスを取ろう、取ろうとしてきて、結果を捻じ曲げられている印象が拭えないのだ。
出遅れ、不利、騎手の判断ミス、タイミング、展開・・・
間違った事は何一つしていないはずなのに・・・
競馬の結果だけが私に揺さぶりをかけてくる。
他のラッキーの対価としてかのように・・・
けれども、忍耐力も意志も時間も十分にすべて受け取ってもいいほど対価を払っていると思うんだが・・・
それでも足りないのかもしれない。
だが、Nスポ記者のぷほるすさんや、競馬のオッズ切という概念を教えてくれたととさんも・・・
社会的ステータスもあるし競馬も勝てていてすべてを手にしているように見受けられるんだが・・・
それはそれこそ皮膚の一部のような感覚で違うところでバランスを保つかのような対価を払っているのかもしれないんだよな・・・
私のここから見える視点ではすべてを手にしていても・・・・
見えないところで発狂寸前の対価を支払い、バランスシートが0になるようになっているのかもしれない。
それこそいただいたコメントのパラレルワールドではないが・・・
すべてを手にした私と、すべてを失っている私が同時に存在する並列世界の時間軸において・・・
N島AとN島BとN島Cが同時に存在して生きる世界があり、その中で私はどのくらいラッキーな方の私なんだろうなとか競馬の結果をみると思うのだ。
一歩でもすべてを手にした側の私の世界線に移りたいとか思ってしまうが・・・
時間の巻き戻しも、並列世界の結果の変換もできないのだから・・・
常に自分に起きる結果は最善であると考えるのが一番良い。
自分には結果的にラッキーしか起きないと決める事はできるはずだ。
が競馬の結果だけが納得がいかない。
何かのヒントかメッセージなんじゃないかと思っているんだが・・・
競馬からの引退勧告なのか・・・・
それとも途中で降りない事の重要性へのメッセージのテストなのか・・・
どちらかはまだ分からないんだが・・・・
なんとなく競馬のyoutubeの収益化無効のメッセージも含め競馬からの引退勧告のように見えるんだよな・・・
他でラッキーなんだし、やる事あるだろうという。
結果によるメッセージをスルーではなく読み解こうという姿勢が大事だと思っているんだけれども・・・・
ただ多分、降りたら今までの裏目が嘘のように後輩が噛み合う気がして怖くて仕方がない。
でも実際そうなるんだろうなと思うのだ。
けれども噛み合わなさを耐えきった先に、望むすべてを手にした私がいる世界に辿り着けるかもまた疑問なのも事実・・・
ただ、そう考えると例えば稲森和夫氏のようにすべてを手にし切った人のバランスシートはどうなんだと疑問を持つかもしれないが・・・
ああいう経営者は十分に対価を支払っているなと思うのだ。
少なくとも、守るべき社員とその家族に生活を与えている。
その数が多ければ多いほど、その与えた運の対価が利子をつけて返ってきているのではないかと。
よくよく考えれば一匹狼や個で尋常じゃないほどツイている人なんて見た記憶がない。
誰かを幸福にした分だけ、その数も幸運の対価になり得るんじゃないかという気もしている。
そう考えればどれだけの人間を幸福にしたかでツキの総量は変わるのかもしれないよな・・・
というよりバランスシートの負債に当たる支払った不運(与えた幸運?)が溜まっていくというか・・・・
タリーズの創業社長の幸運は他人が運ぶものという言葉を思い返しても・・・
他者を介在させないとバランスシートの総量は小さいままなのかもしれない。
よくよく考えれば、その総量をが上がるほどどれだけの多くの人間を幸福にしたと問われると、私はたいしてやっていない。
今いる飲食店のスタッフを幸福にすればもう少し支払った対価もあがるのかもしれないけれども・・・
バランスは確かに取られるのかもしれないよな・・・・
今週は結果がどういうメッセージを送ってくるか・・・
注目していたい。