かのように・・・
物事がつながったんだよな。
まあ表題は比喩なんだけれども・・・
ありきたりな言い方をすればパズルのピースがハマッて繋がったというか・・・
神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造とよばれているシナプスが繋がったというか・・・
先日も記載したが・・・
前職の取引先の人と飲みに行った・・・・
そこで京急、もしくはブルーラインの横浜市営地下鉄の弘明寺にある「まさき亭」という町中華の店に行ってきた。
日曜日に書いた通りここのサンマーメンが有名で・・・
普通のサンマーメンと異なり塩味なんだよな。
普通はちょっととろみが甘かったりするんだけれども・・・・
完全なる塩味でこれはこれで美味いんだけれども・・・
改めて気づいたがサンマーメンって熱すぎるのが好きじゃない人には向いていないよね・・・
いつまで経っても冷めないのがいいんだろうけれども・・・・
まあ、そこに行き、いつもの超リーズナブルで味も悪くない寿司屋に行き、上大岡まで歩いて最近、急激に店舗数を伸ばしている「もつしげ」に行ってきたんだが・・・
もつしげの塩モツ煮込みは好きなんだけれども・・・
それ以外だと秋吉の焼き鳥の方が好きなんだよな・・・
まあ、それはいいとして・・・・
その時の一緒にいた方の大学時代の御友人が先日ベンツに乗って食事に行こうと迎えに来たらしい。
でもって株か何かで当てて、金に困らない状況になっており、奥さんと子供がいる状態。
順風満帆で何も不自由がなく、幸せそうなんだけれども・・・・
まったく満たされないらしい。
まだ50まではある程度時間があり、自由にしていてもだ。
ちょっと前の私には分からなかったが・・・
ラッキーしか起こらない人になってからはちょっと分かるんだよな。
確かに金は手段としては、最高レベルだけれども・・・・
でも、それは表面的な手段と対価としてなんだよな。
その金があって、家族がいて、ベンツに乗っていてもまったく満たされない人は、満たされた時間を欲するために私のこの友人に会いに来たというのだ。
おっさんがおっさんに会ってどうすると一瞬思ったんだけれども・・・・
それでも、損得なしに自分と会って話せる人を求めているらしい。
BARかおねーちゃんがいるところに行けばいいのにと一瞬思ったんだけれども・・・
そこから気づかされたんだよな・・・
ピースがハマるというか、シムシティーで島と島の間に橋をかけるというか・・・
以前にも記載したかもしれないが・・・・
丁度、まだ私の母の店が繁盛していた時・・・・
毎日飲みに来ていた老人がいた。
ただ、経済力は恵まれていないようで・・・
とても酔えるとは思えない量の酒を入れては水で一杯にまで薄めて飲んでいたんだが・・・
うちの店に毎日飲みに来ていたんだよな・・・
ところが、ある日ぷっつり来なくなり・・・・
孤独死していたんだが・・・
その死因が栄養失調・・・
いわゆる餓死だ。
毎日、飲みに来て飲み代払っていた人が餓死をするって結構異常事態だと思うのだけれども・・・・
でも、そうまでして人と触れて居たかったという事だと思うのだ。
で、この満たされない人はこの老人に似ているなと・・・
この老人と異なり、株で当てたくらいなのでそれなりの知性がある方だと思うんだが・・・
金があっても、飲みに行くだけでは満たされない事に気づいているんだろうね・・・
その話を思い出した事で一気につながったのだけれども・・・・
というのも・・・・
以前に記載した美人の視点・・・・
美人に対しては男性は同じ事しかしないので、男性が全員同じに見えると感じたのと・・・
翻って考えれば、美人は男性が皆同じことをするので結構ノーヒントで社会を生きており、その美人という優位性が時間の経過と共に損なわれることによって・・・・
ある日突然、自分の顔が変わるのと同時に世界が顔を変えて、ルールを変えてくる。
ずっと間違っていたことを正しいと思ってやっているけれども、それは美人の持つ優位性が許させていただけ・・・・
だからそれが損なわれて、世界が本来の姿を取り戻しただけなのに、世界のルールが変わったと感じるって恐ろしい事だなと思ったんだけれども・・・
この時点で私はもう一歩先に気づかなければならなかったんだよな。
というより、この満たされない方の話を聞いて、気づいた。
いや・・・
世界がルールを変えるのは何も美人に対してだけではないなと・・・
人間、自分の事には気づきにくいもので・・・
別に美人の持つ優位性を持っていないからと言って・・・
自分が何も持っていないから世界がルールを変えないと思っている事が間違いなのだよな。
そう、実は何も持っていないようで、結構持っている。
当たり前で、許されていただけなのに、それに気づかず世界が自分に対して急に牙をむくというか・・・・
ルールを変えてくる日が来ることがあるはずなのに、私は自分に対してそんな対象外だろうと棚上げしていた。
経済力があれば、ある程度は望む結果を手にできると思っていたけれども・・・
それは美人がその優位性で社会に許容されているのと一緒で、私が許容されている内のルールでしかないんだよな。
というのも、一見私は自分で優位性を何も手にしていない気でいるが・・・
まだ、健康なんだよな。
そして、酒も飲んで楽しく酔える状態で、まだ時間的余裕が致命的な状態ではない。
さて、例えばなんだけれども・・・・
一発何かをぶち当てて、金に困らなくなったとして・・・・
酒が飲めなくなったらどうなるか?
まだそのくらいであれば、飲み屋に行ってスタッフに飲め飲めで自分は飲まずでまだ楽しめるかもしれない・・・
では、金が有り余って動けなくなったとして・・・・
どうやって楽しむというか満たされる生活を送れるか?
話し相手になるスタッフを雇ってもいいんだけれども・・・
それって相手は仕事なので、もう表面的な見え透いた話しかできずに、つまらない、満たされないと思うと思うんだよな。
では家族がいればそうじゃないかと言えば、それもそうではなくて・・・
学生時代や30代、40代で親父とかおじいちゃんに会いに行って何時間も一緒に話していられる人どれだけいるだろうか?
私は親父と一切会話しなくても会わなくても何も困らなかった。
てことは自分の家族も同じなんだよな。
多分、家族だろうが見動けとれなくなっても、自分と居て相手が面白くなければ、金でも解決できない事になる。
メンタル的な部分だから当然だろう。
そう考えると、健康で酒が飲めるという優位性があるから金で解決できるのであって・・・
その当たり前であること、けれども実は優位性とも言い換えられる健康であること・・・
これが損なわれると、その優位性を失うと損なわれた美人の優位性と同じで世界がルールを変えてくる。
ある日突然ルールが変わって、その準備をしていないと賽の河原のような満たされない日々の連続性が急に続いていくわけだ。
これも結構恐ろしい話だよな・・・・
なので、そうかと私の年上の友人が私のような年下の友人を作ろうとするのは・・・
それを見越してのことなんじゃないかと思えてきたのだ。
先に友人が皆死んで、酒も飲めなくなって、金を使っても皆、マネキンのように仕事感あふれる表面的な当り障りのない対応・・・
無償で自分のために時間を使ってくれる人の存在がなくなるって、これまた結構恐ろしい話・・・・
なので私も今のうちに10個くらい年下の友達作んなきゃなとか思えてきた。
自分より先に友人全員に死なれるリスクも考慮し、先に逝かれるリスクの低い年下の友人の確保か・・・・
逆にアフター行ってくれる女の子を引っ張れる爺になっておかないと結構なリスクだなと・・・
皆家庭もあるし、私は友人は多い方だと思うが・・・
それでも今日いきなり飲みに行こうと言って飲みに行ける人ってなかなかいなくなってきている。
まだ、知っている人全員に声かければ誰かしら捕まるとは思うが・・・
それでも、毎日突然誘って誰かと飲みに行くということを実践したら何日連続までいけるだろうか・・・
35超えて一週間続けれたら結構凄い人なんじゃないかと思うのだ。
勿論、会社の人は別だ。
時間を共有している人の延長線上の飲みはそれほど難易度は高くない。
けれどもあくまで時間を共有していない友人に連絡しまくって今日一緒に飲める人を探すってなかなか続けるのは難しいと思うのだ。
と、ここで結局父が店を赤字のままでも無理矢理続けた理由も分かったのだ。
合理的に考えれば赤字の店を継続するとか意味不明で・・・・
全くの無駄だ。
けれども、視点を変えれば少なくとも店のオーナーとして存在している間は、無償で時間を共有できる人間が存在するんだよな。
親父はコミュ障だったこともあり、早々に分かっていたのかもしれないな。
赤字でも店を継続していうちは、最も満たされない状態を回避できると。
でここまでつながった時に・・・
バフェット氏の言葉がよみがえった。
この記事で記載した↓下記の奴だが・・・
100万ドルで愛が買えるなら安いものだ。
しかし、現実には誰かに愛されたいと思ったら、あなた自身が愛される人物になるしかない。
見返りを求めてしまうのは人間の性だが、あなたが何かを与えなければおそらく、あなたには何も与えられないだろう。
そう・・・
この話がよみがえってきて・・・・
現実に自分の持つ優位性の何かが損なわれ、世界がルールを変えてきた時・・・・
健康が損なわれて、金があった場合となかった場合・・・
どちらにしても、人に、自分のために時間を無償で割いてもらおうと思ったら・・・・
人が自分のために時間を割きたいと思うような人間に自分がなるしかないんだよな。
人格を磨き上げ、新しい事に挑戦し、話していて面白いというか、もう終わりを待つだけの人にならないようにし続けなければならない。
これも結構キツイことだなと思うけれども・・・
そもそも健康でも人がこの人と話していたいと思うようなコミュニケーション能力の高い人間は少ないのだ。
老人でもバフェット氏に会いたい人はたくさんいる。
でも、寝たきりの見ず知らずのおじいちゃんに会って話をしたい人がどれだけいるだろうか。
どれだけのトーク力があればと思うけれども・・・・
これも以前にも記載したが、どんな人間関係であっても必ず対価交換が行われている。
対価交換が行われない人間関係は必ず破綻する。
楽しい、学べる、興味深い、感動する
目に見えない何かしらの対価交換が人間間には発生しているんだよな。
つまり、金を使っても得られる人間関係の対価交換が、ルールが変わった後だと望む物ではないレベルの質の低いものしか得られなくなるんだろうな。
まあ、そんなわけで・・・
リスクを考えると挑戦というか可能性を感じさせる面白い爺になりつつ、経済力も得なければ、「満たされない天国」が待っているということを理解し、準備しないと駄目なんだよな。
生きるってのは求められている事もかなり多い。
まあまだ40代前半で気づけたのはラッキーしか起きない証左かもしれない。
てことで・・・・
まあずっと飲食店経営の話を書こうとしていたんだが・・・・
余談が長すぎる形になってしまった。
さて・・・
今、親父と同じリスクヘッジと会社の仕事や定年で駄目になった時のリスク回避として・・・・
飲食店の黒字化を考えなければならない。
インカムを増やさないと始まらないので・・・・
現在まん延防止も延長になると決まる直前・・・
オリンピック終わるまでは準備期間となると思うのだ。
今のうちに、店舗の修繕を行おうと思っていて・・・
床の修復、ソファー張替え、製氷機交換、2層シンクの交換、鍵追加、テーブル修復、エアコン交換、換気扇交換、椅子修繕、照明LED化、看板修復までやっている。
丁度やり始めてから一周年になるが・・・
一周年のイベントもできていない。
店舗は結構綺麗になってきているので・・・・
あとは集客・・・・
どうやるかだが・・・
まずは、名刺アプリのeightを活用しようと思っている。
過去に交換した名刺の数は2000枚を超えているので・・・
全部登録し、eightで営業開始したら店舗の名刺を追加しようと思うのだ。
それで過去の知人への集客をやってみるのと・・・
やはりスタッフをたくさんの人数をちょっとずつ入れて、持っているお客さんを自発的に呼んでもらうようにすること・・・
後は、自動で流しているパワポのスライドショーを整備してこれはココナラに発注・・・
後広告代理店を友人系で探してみてやってみようかと思っている。
使える経費は使っておいてもいいと思うしな・・・
なんでもやってみよう。
重要なのは変換でやってしまってから望む形に近づく方法を模索する必要があるんだよな。
9月前には再オープンできるかな・・・・
1周年記縁も含めて準備をしようと思っている。