さて・・・
最近思ったのだけれども、世の中の厳しさは親でもない限り、いや・・・
親でも親自身が分かっていない可能性があるので何とも言えないが・・・
この世のルールを誰も教えてくれない事だよな・・・
といっても書籍で良書であればゲームのルールを教えてくれるかもしれないが・・・
大概の人がルールの説明もないまま強制的に人生ゲームに挑戦させられている。
ルールを熟知するということは勝負事やゲームにおいては最も重要で・・・
ルールが分かっていないまま勝負事に参加すれば、それは当然カモとなる。
ルールを熟知する事からすべては始まると思うのだが・・・
分かっていてもそのルールに則って勝負したくないという感情があったりもする。
そんなことを思わされたのがこの記事だが・・・
ネットニュースの割には久しぶりに核心を突いた記事だなと思ったのだ。
↑真実の記事
サラリーマンの真実を突いている。
今さらかもしれないが・・・・
能力でサラリーマンを乗り切ろうだとか、正当に評価されていないだとか・・・・
そもそもルールを理解していないって事になるんだよな・・・
私を含めてだけれども・・・
ルールを理解したとしても感情でそれをやりたくないというのもあるけれども・・・・
記事として明確にしているルールが真実で・・・・
会社組織にはもともと2種類のまったく異なる出世ゲームがあるのだ。
一つは「仕事人としての出世ゲーム」であり、もう一つは「組織人としての出世ゲーム」である
この仕事人としての出世ゲームは報われづらく、ただプライドは満たせる。
けれども結果や効果に対して正当に評価されない事が多い。
そして難易度が低く、サラリーマンとして正しいのは組織人としての出世ゲームだと私は思う。
記事を引用させてもらうと・・・・
一方、「組織人としての出世ゲーム」は、「仕事人としての出世ゲーム」とは異なり、基本的な評価は、社内の有力者によってなされる。世間的に価値があるかないかはほとんど関係がない。有力者がよいといえばそれでよいのだ。このゲームは組織の中でいかに政治的に勝ち残るかという社内政治の競技といっていいかもしれない。
組織人としての出世ゲーム」で 評価されるポイントは下記の通りだそうだ。
今思うと、私もこれは正しいと思う。
やりたいかやりたくないかは別だけれども・・・・
1、かわいいか、かわいくないか
2、自分にとって役に立つか、立たないか
3、組織にとって役に立つか、立たないか
1、かわいいか、かわいくないか
自分にしっぽを振ってくれているか、尊敬してくれているかどうか、純粋にかわいげがあるか、などがここでの評価基準である。
2、自分にとって役に立つか、立たないか
有力者が重要と考えている目標に対して、その人が貢献してくれるかどうかである。この目標がライバルを蹴落とすということであれば、ライバルのミスを見つけてくることなど、たとえ会社への貢献としての価値はゼロでも、この評価項目でのポイントは高くなる。
3、組織にとって役に立つか、立たないか
最後に出てくるのが、組織全体にとっての貢献である。自分の役に立たずとも会社全体の発展に貢献してくれるのであれば(消極的に)高い評価を与えることになる。
これらが総合されてゲームの勝者が決まる。配点でみれば1と2が圧倒的で3の比率はごく小さい。
なかなか恐ろしい事で仕事をちゃんとやっているのはルールとしては得点数が少ない一番大変な事に取り組むという最もばかばかしい行為なのだ。
重要なのは、有力者への信用と愛嬌・・・
企業30年説というけれども・・・
この「組織人としての出世ゲーム」が成立していて、何もできない人間が発言権を持つようになれば・・・・
そりゃ会社も潰れるよな、必然的に・・・・
何もできない失敗だらけの人間が舵取りしたらそりゃ失敗する。
でも関係ないのだよな、自分の延命と我田引水というか自分のメリットの為だけに人は生きているので・・・
他人が作った会社がどうなろうと知った事ではないのだ。
そして、記事のこれも真を突いているなと思うのだが・・・・
取締役会(社外は除く)比率を考えてみるのも面白い。
大まかにいって、「仕事人としての出世ゲーム」の勝者と「組織人としての出世ゲーム」の勝者は、2:8よくて3:7くらいであろう。ほとんどの役員が確固たる業績(会社にとって)が何もないのに出世しているのだ。
逆さに振っても本当に何の実績もない人すらいる。
私の前の会社ではむしろ、会社に何億と回収できない負債を抱えさせて損害を与えていた人物ほど出世していたっけな・・・
株主総会で一掃されたらしいが・・・
残党はまだ残っている・・・
だからこそ、会社の精算も近いのだろうけれども・・・・
そう考えると・・・
自分自身はちゃんとルールが分かった上でサラリーマンなどのゲームに参加しているのだろうか?
ルールは分かっていても技に拘り、低得点の練習ばかりしていても仕方がない。
だとしたらサラリーマンを脱出するしかないのだよな。
力のある人間に取り入る能力はサラリーマン以外でも必要だ。
そこに変なプライドを持っているようなら、普通ではない違う土俵で戦うしかない。
自分を取り巻くルール・・・・
我々は本当にそのルールに気づいているだろうか?
この記事を見てそれを考えさせられた。
もしかしたらルールの存在すら分かっていない人も多数いるかもしれない。
そうなった場合は、自力か自分のネットワーク内で生きていくしかないのだ。
もうサラリーマンがコロナの影響で世界が変わり、顔を合わせなくなるようになったら・・・
終身雇用も崩壊し、60歳までサラリーマンをやれるのはルール2の「組織人としての出世ゲーム」で勝ち残った人だけかもしれないよな。
今の私の会社でも他にライバルがいないので「組織人としての出世ゲーム」で勝った人が毎日本を読んで、セクハラしながら、家賃を会社に払わせ、年収1000万超えをし、有力者と同行し会社の金で昼飯と晩飯を食い、子会社からも役員報酬を貰っている。
この人は多分、何もできないし、むしろ老害のレベルであると思うのだが、そんなことは関係ないのだよな。
「組織人としての出世ゲーム」のルールを熟知し、そのゲームにおける手練れなのだから戦ってはいけない相手。
かといって捨て駒や盾になるためにこの人に「組織人としての出世ゲーム」のルールとして参加する気にもなれないしな・・・・
自分が熟知していて、且つ勝てるルールの土俵を探すのが良いのかもしれないが・・・
これを曖昧にではなくクリアに現実に落とし込むのも至難の業というか情報が足りないか気づきが足りないということなんだろうね・・・