なにもかもうまくいくわけじゃないんだから、なにもかもうまくいかせようとするのは、技術的にはまちがった考え方だ 阿佐田 哲也
ご存じ雀聖と呼ばれた「麻雀放浪記の著者」
麻雀は運の奪い合いという思想をもっている。
麻雀をしていて「朝だ、徹夜だ」という言葉からとったペンネームらしい。
20年ほど前に少年マガジンでやっていた「哲也」もこの方の作品がモチーフになっている。
逆にいえば、何もかもうまくいかないことなんてないんじゃないかと思えるんだが・・・
あるんだよな、不思議と。
ただ・・・
全部が全部は上手くいかない。
分かっていながらも、勝負をしていると全部うまくいくこともあるのではないかと思えてしまう。
その罠に陥らないように気をつけたい。
そう、これは自戒とすべき言葉で・・・・
決して何もかも上手くいきつづけるわけはないのだ・・・
だが・・・・
勝率100%を目指してしまう。
何故か?
それはメンタルが弱いからだ・・・・
進もうとして後退してしまう事に感情が耐えきれない・・・
だから・・・・・
100%を目指してしまうが、それが間違った考え方だと言うことだ。
外れを受け入れると言うか・・・・・
許すことができないと・・・・
いや・・・・
受け入れることができないと実社会でも上手くは行かない・・・・
ギャンブルは社会の厳しい部分だけを切り取ったイメージがある・・・
何しろ・・・・
社会は寛容で、生き残れる人の基準が甘いが・・・・・
ギャンブルはごく少数しか生き残りを許さない・・・・
そんな中で生き残るためには精神的な強さが必要と言う事・・・・
頭で分かっていたとしても・・・・
感情レベルまで落としこむのはなかなか難しいだろうな・・・・
逆に言えば100%は目指しちゃいけないのだ・・・・
落とし穴のある頂上を目指すような物・・・・
パチンコやスロットで言うスランプグラフの下降線の部分を受け入れられないと勝てないのと同じだ・・・・
ようやくこの言葉の意味を認識できるようになったなと感じるが・・・・
言葉は・・・・・
それを見る者の経験からでしか伝わらないので・・・・
結局、同じ事を理解するのは難しい・・・・
だから、体験をしないと、何かを実行しないと見えない物が多いんだろうな・・・・
視点の高さや方向を変えなければ、理解できていないことすら理解できない・・・・
同じ位置から同じ方向を見ていればそりゃ、毎回同じだ・・・・
この言葉は核心を突いていると個人的には思う・・・・