真理かもなと思えた。
表題は先日のヤフーニュースに乗っていた三国志の曹操の話。
こんな記事だったと思う。
三国の前の時代、後漢の光武帝が天下統一の途上、隴右(ろうゆう)地方を平定した後に、今でも使われるこんな言葉を残したという。
隴右は手に入ったが、今度は蜀を手に入れたくなった
(すでに隴を得てまた蜀を望む)『後漢書』光武帝紀より
そして曹操も蜀が起こったばかりの頃にこんな言葉を残している。
人は満足しないことに苦しむものなのだ。もう隴右を手に入れたのだ。どうして蜀を望もうか。
(人は足ることなきに苦しむ。すでに隴右を得て、また蜀を得んと欲するや)『三国志』魏書より
たしかにな、龍安寺には「つくばい」と呼ばれるものがる
これは真ん中が漢字の口になっており・・・
上から右回りに読むと・・・
吾唯足知となる・・・
すべてに口という漢字がついており自分が足りると知っていると言う事・・・・
まあ、私の今トラブルに巻き込まれているのも相手の欲がすべてだしな・・・
筋と義理と信用じゃないのだよな、行動原理が欲・・・
映画セブンにもでてきた7つの大罪の一つのグリードではないが・・・・
強欲は罪だよな・・・
すべてを失うかもしれない要因になる。
確かに、現状が足らないと思うから変化のない事に人は苦しむのかもしれない。
斎藤ひとり氏ではないが・・・
ショッピングモールが存在している世界は、美味しいものがあって、綺麗な服があって天国だと足りると思えば楽だろうが・・・
欲ではないつもりなんだが・・・
やはり足りないんだよな、私も・・・
だから、不足という概念が人を苦しめるのかもしれない。
そう考えると、人間は常に自分の欲によって自爆しているのかもな・・・
時間と自由を望むことが強欲なんだろうかと疑問に思うが・・・
ほとんどの人が手にしていないのだから強欲なんだろうね・・・・
自由じゃないという不足に苦しまされているが・・・・
それでも足りてると思えば向上心がなくなるような気がしている・・・
なので、やはり是が非でもそこだけは譲りたくない。
そう考えると・・・・
どうやっても競馬で負けるわけにはいかない。
何度も言うように負けちゃいけないんだよな。
どうあっても・・・・
時間を無駄に使う事も、負けても平然としている事ってどちらも緩慢な自殺なんだよな・・・
自分のブランドを自ら貶めているのと変わらない。
逆ブランディングになってしまう。
だからこそ、ネガティブになり、より負のスパイラルに陥る。
負けると失うのは現金だけじゃないと気づくのに何年かかった事か・・・・
競馬で勝つ事も得るのは目先の現金だけじゃない。
勝つとセルフマネジメント力もメンタルもすべて付加価値がついてくるのだ。
だからこそ是が非でも絶対に勝つべきなのだ。
勝つと言う意志と勝つ事に対する執着が必要なのだよな、もっと。
けれども、ほんの数年前まで私にもそれがなかったんだよな・・・
本気じゃなかったし、生きる事を舐めていたなと今更ながら思う。
今は普通に生きる事すら最難関なのだ。
国が年金に期待するなと公言しているのだ、払い続けている私たちに対して・・・・
自助努力ってなんだよって思うが・・・・
なんとなくうっすらと言われているけれども現実感ないが・・・・
普通にサラリーマンやって定年になったら・・・・
もう生きていけない。
金が足りないのだ。
おそらく生活保護の支給も変わるだろうし・・・・
もうただ働いているだけじゃまともに生きていけないよなと思うのだ。
長生きリスクも現実のものだし・・・・
そう考えると、付加価値を生み出し続けないと温くも生きられない。
不足を感じなければと思うかもしれないが・・・・
節約しながら何もしないで老いるのもこれまた苦痛・・・
だからこそ、普通に生きるために競馬で勝たなければならない。
私はだが・・・・・
ただ、ししゃもさんを見ていると、色々再度学ばされるんだよな・・・
本当に悪意とか他意があるわけではなく、本当に教えていただいていると思っている。
そもそもししゃもさんと20代の頃の私は破滅に対しては似ているなと思うのだ。
なんだろう、ギャンブラーって自己認識の価値が低いと言うか勘違いしているんじゃないかと思うのだ。
甘ったれていると言うか・・・・
まあ、平たく言ってしまえばメンタルが弱い。
負ける事に対して、まあいいかとか仕方がないとか・・・
簡単に諦めてしまっているんだよな・・・
私自身がそうだったし・・・・
面倒くさいに勝てないのだ。
それほどまでにメンタルが弱い。
何もしたくないけど結果が変わって欲しい・・・・
だから、膨大な手間暇をかけた集計とかができない。
嫌なんだ、そんな面倒な事をするのが・・・・
ただ、そういう人はどんどん仕事も投げやりで負のスパイラルになってしまう。
強い意志が必要なんだよな、負けちゃいけないとか執着が・・・・
で、頭では分かっていてもその執着を持とうとしても私は持てなかったのだよな。
勝たなきゃいけないと言う執着
何故か?
これは逆セルフブランディングをしていることの意味を理解していない。
本当の意味で負ける事と勝つ事の意味が分かっていなかったと思っている。
常に期待値は稼がなきゃならないのだ
負けて良い事など何一つない。
その意味をちゃんと脳内に映像化してまで理解し危機感を覚えなきゃならないのだ。
これが10年続いたらどうなるかとか・・・
負けてるギャンブラーはどこかで諦めていると言うか投げやりと言うか・・・
自分を粗末に扱いすぎなんだよな・・・
でもそれが自分を粗末に扱っている事と気づいていない。
どんな面倒な事してでも是が非でも勝つと言う意識を持つためには・・・
危機感と本当の意味で負けと勝ちを理解する必要があるんだよな。
どんな面倒な事でも勝つと言う目的のためには今すぐやる事を厭わないくらいの覚悟を持って・・・・
そのためには負けられない理由が必要だ。
人生の期待値稼いでいるだろうか?
多分一番手っ取り早い期待値稼ぎはポジティブな人と会う事だ。
タリーズの松田社長の言葉が結構好きで・・・・
幸運は他人が運ぶもの
他力を得る事、代理を作る事・・・・
すべて人と会わなければ始まらない。
だから競馬サークルで今回ネットで来ると言っている方は面白いと思うのだよな。
よくよく考えれば行動力があるし、発想がネガティヴじゃない。
そもそもポジティヴに知らない人と会おうとしている時点で人生の期待値を稼いでいると私は思うのだよな。
ただ・・・・
こういう執着を持てるようになったの・・・・
ラッキーな結果を出している人たちが行っている神社に定期的にお参り行くようになってからのような気もしている。
私も父同様ほぼ無宗教だが・・・・
個人的には敬虔な拝金教徒であり、神(現金)の神通力は飛行機という奇跡で私を空中浮遊させることができるし・・・・
繁華街に行けば神の神通力で即座にその場にいながら何もせずにビールを飲む事ができると思っている。
そして泥酔教徒でもあり酔えよさらば救われるが礼拝の言葉だ。
だが・・・
実際に運が良いと私が思う結果を出している人の共通点がちゃんとお参りしているんだから・・・・
結果を起点に考えれば理屈じゃなくてやるべきだよな。
そう思ってやっているが・・・・
確かに流れが良くなっている気がするんだよな・・・・
メンタルにも必要なのかもしれないと思っている。
まあ、そんなわけで・・・
考えれば考えるほど負けちゃいけない・・・
遊びの馬券はもっと控えるべきだよなあ・・・
勝たなきゃならないんだよね、絶対に・・・・
そのための努力は惜しまぬようにしたい。