そう、ふと思ったのだ。
人は「いつか必ず死ぬ」という病を抱えているのと同じなんじゃないかと。
これは決して治すことができるものではなく、延命や進行を遅らせることはできても、死ななくなることはできない。
人類史上、死ななかった人間は存在しないのだ。
言い換えれば、人は生まれながらにして、「いつか死ぬ」という病に罹患しているといえるのではないか。
純粋な健康体など存在しておらず、皆「いつか必ず死ぬ病」にかかっている。
そう考えれば、ギャンブル依存症くらい可愛い病気だよな。
とはいえ、この病も社会的には簡単に一瞬で死ねる病でもあるので、なるべくなら罹患しない方がいい。
けれども、かかっちゃったらこれはもう不治の病なので、治すことはできない。
進行を遅らせるか、延命させるしかない。
毎日ギャンブルやめるを決心しても、スリップなどいつでも起こりうるし、多分治らないものを治そうとしてはダメなんだよな。
当事者以外は理解できないことだと思うのだけれども、最近ギャンブルで勝っている人というのが「羨ましい状態」ではないのではないかと思えてきた。
多分、本気でギャンブルに勝っている人は全員ギャンブル依存症なんじゃないだろうかと思えている。
そうじゃなければそこまで執着などできないし、病を否定したとしても「勝つ」という「投薬」で実生活で問題になっていないだけだ。
勝たないと死ぬことが分かっているから死なないために本気で研究し、セルフマネジメントをし、我慢して、勝っている。
これって、それほど羨ましいことだろうか。
私もだけなんだけれども、ギャンブルがもう楽しくないんだよな。
こうなってしまうと
一番楽しいのは感情の赴くまま、「えいや」で勝負することだ。
けれども、楽しくないのに負けることにビクビクしながら、それでも張ってしまっている。
これはもう病だよな。
ギャンブルにおける勝ち組なんてものはまるですごくはない。
死にたくない、生きたがり屋なだけだ。
金がチップであり、記号だもんな。
また張るために必要だから勝たなきゃならない。
張ることに執着しない世界の方がよっぽど恵まれているんじゃないだろうか。
ただ金は等価交換できる万能のポイントみたいなものなので、ないよりはあった方がいいし、そちら側に執着する視点でみると「すごい」とか「羨ましい」の対象になりうるかもしれない。
けど、金が欲しいだけなら多分、仕事した方が早いし、ギャンブルの勝ちより多く手に入る
負ける恐怖に怯えることもない。
正直、「なんでもやる」と決めて実行すれば、営業という職種はなんでも仕事にできる。
未経験でも、不動産でも、旅行でも、建築でも、その気になれば全部インカムに変えることができるのだ。
まあ、もう私はギャンブル依存症に罹患してしまっているから死なないためにギャンブルで「勝つ」しかないのだけれども。
そのためにはセルフマネジメントとポジティブなメンタルが必要になる
それこそ、自分を「ラッキーしか起きない人」であると決めて、毎日言い聞かせ、無意識を英才教育し、ラッキーしか起きない人になって5年くらい毎日決め続けないとならないとか思っているが。
まあ、そんなわけでこのギャンブル依存者は今日の中京2レースでトリガミを頂戴し、仕方がないと思いながらも今日はもうお休みかなと
二日トータルではほんのちょこっと勝っているが、2連敗なんかしたら目も当てられないほどの圧倒的敗北になってしまう。
2月の頭の小倉のレースのようにスマッシュヒットが欲しくて仕方がない
最近は「張る」レースがない方が安心するもんな。
ただ弱気などにはなっておらず、ラッキーしか起きないから大丈夫だと思っている。
それでも、ただ多分知っただけなのだ。
ギャンブルの真の恐ろしさを
知らぬが仏で勘違いしていた恐るべきものの正体の一部を知ってしまっただけ。
本当に氷山の一角で、今でも全体は見えていないけれども、海面以外の姿を見てしまったといえるのかもしれない。
そんななか重賞
負けたくないから買わないけれども・・・
スプリングステークス
買うなら後輩のコメント込みでスワローシチーとクモヒトツナイでいいんじゃないかと思っている。
小頭数だし、こういう時はよくわからない人気薄が不利を受けずに綺麗にマークして勝ったりするもの。
そそらないので、買わないけれども、オッズ的にはこの2頭からだな
金鯱賞はまだ1番人気かと思うものの、ホウオウビスケッツでいいと思っている。
3番人気とかならこれから買うもありだが、1番人気で前に行く馬
見るレースだな
けど本命はホウオウビスケッツだ。
何気に昇竜ステークスが楽しみだ。
トリリオンボーイいいと思うんだよな。
マテンロウコマンドよりはポールセンとカネショウレジェンドだろうなと思うけれども。
このまま午後の配信がなければ今日は競馬はお休みできる。
ちょっとそれを願ってしまっている私がいるんだよな。
もう、負けたくないということへの執着が高まりすぎている
でも生き残るにはそれが一番正しい。
戦場では勇敢なものから死んでいくという
臆病者が一番生きながらえる。
森巣博氏も同じようなことを言っていた気がする
負けないことへの執着こそが、勝つために最も必要なことなのかもなとか思ってしまう。
結局、勝とうとする人はすでに負けている状態をどうにかしようとしているので無理をしなければならなくなる。
そうすると負けないより、勝ちたいが行動原理になるのはギャンブル依存症罹患者としてはわかるのだ。
でも急がば回れではないが、勝ちたいを満たすためには負けないを徹底することなんだよな。
じれったいし、忍耐が必要、資金の限界が見えると焦れるのも分かる。
それでも、負けないことを優先する必要があるんだよな。
なんか書いていて、2冊目の本を執筆しようかと思えてきた。
「ギャンブルで大破滅からの生還」みたいなタイトルで