博奕には経験の集積というものは確かに存在する。しかし同時に、その経験の集積から抽出可能な、いかなる予測も戦法も存在しない。 森巣 博
作家、ギャンブラー
ギャンブル系の小説を多々記載しているらしい。
過去の成功体験と同じだろう。
過去に起きたことは相手も知っていると思った方が良い。
相手が知っているセオリーをそのまま行ったところで勝てるはずがない。
個人的見解だが、博打における過去の経験と言うのは・・・
流れがないときの対処法。
流れを引き寄せる方法。
この2つでしかない。
そして・・・
これも相手のレベルに拠るが・・・
ミスの相互自助をする相手との対戦だと・・・
もう自分のところにツキが回ってくる前に・・・・
流れの渡し合いになってしまうので・・・
この負けそうな時に如何に降りれるか。
勝負を回避できるか。
そこに経験が活きるのかもしれない。
ただ、経験をすることで駄目な時と良いときの判断が早く理解できる・・・・
そして対策を取りやすいということなのではないかと思うのだ・・・・
無駄な経験などないと私は思う・・・
何事も学習だ・・・・