本物のギャンブラーの誤謬

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さて、ギャンブラーの誤謬と言えば、ある事象の発生頻度が特定の期間中に高かった場合に、その後の試行におけるその事象の発生確率が低くなる(あるいは逆に、ある事象の発生頻度が低かった場合に、その事象の発生確率が高くなる)と信じてしまうという誤謬である。

観察される結果が真にランダムであり、かつそれぞれの試行が独立した確率過程である場合には、このような考えは誤りである。

パチンコで言えば大ハマリした台がそろそろ当たると思う事がこれにあたる。

確率は一緒なので、ハマろうがハマるまいが当たる時は当たるし、外れるときは外れ続ける。

有名な話だとモンテカルロのルーレットの話がある。

1913年8月18日にモンテカルロカジノでのルーレットゲームで発生した、26回連続でボールが黒に入った出来事である。

ルーレットで26回連続してボールが同じ色(赤または黒)に入る確率は6660万回に1回であり、これは非常にまれな事象である。

「ルーレットがランダム性の不均衡を引き起こしており、その後には赤が連続して出るはずだ」と誤って推論したギャンブラーは、黒以外に賭けた数百万フランを失って破産した。

けれども、これはギャンブルだけにおける誤謬で、そもそもギャンブラーは本質的な部分で誤謬がある。

ギャンブルで勝とうとすることやギャンブラーは、自己中心的な発想が根底にあると思うのだ。

他者から集めた金を勝つ事によって総取りしようとする行為なのだから、そりゃ視点はどうしても自分に集中してしまうのは致し方がない。

問題なのは考え方が、自分が勝つために他者を犠牲にしてもかまわないという人間性が醸造される事だと思うのだよな。

結果的に他者にとって悪意ないまま、危害を加えるというか、自分のメリットのためには他者の犠牲は許されるべきだと無意識化にそれをやってしまうのが本当のギャンブラーの誤謬なんじゃないかと思うのだ。

結局、テイカーの発想であり、先に奪う者は必ず奪われるなと40年も生きていると本当の本質に気づかされる。

ブログ関係で知っているギャンブラーが二人いた。

そして二人とも形に相違はあるけれども、退場しているんだよな。

一人は結局、自己都合を優先した結果、信用を損ない再起不能

信用が一番価値があるんだから、それを手放しても良いというのはギャンブラーの真の誤謬だよなと思うのだ。

目の前の金より、それを退けた信用の方が価値を産むと私は思うのだ。

もう一人は、自分のメリットのためにプラスになる事であれば他者の炎上を利用しようとした人で、その時に人間的に違和感を感じていたが、久しぶりにどうなっているかなとネットで探したら退場していたな。

結局、自己都合を優先する人はなんらかの形でその都合が退けられるんだよな。

逆に言えば、まずは他者のメリットからの方がチャンスや縁が回ってきやすい。

それでもギャンブルという特性上、そういう自己都合優先の発想が刷り込まれてしまうので、やはり一歩引いてギャンブルと向き合うのが正しいと思えてしまうのだよな。

うちのネガティヴコメントとか見ても、負けている発想だなと思う事多いしな。

自分の思い通りに行かないから、ネガティヴに他者を攻撃する事で、何かの所為にして自分を正当化している。

一瞬、その正当化で感情は晴れるのかもしれないが、結果は何も変わらないし、そういう発想を正とする教育を自分にしてしまうからなおさらよくない。

これは人生の本質的な誤謬になるよなと思ってしまう。

そして、その自分を疑えないから同じことを繰り返してしまう。

やはり違和感を一瞬でも感じた人や都合を自分に寄せる人には気を付けた方が良い。

いつかどこか、重要なところで必ず自分を害なす存在になりうるからなあ

先日も店の営業で違和感があった人が他の店でやらかしたと聞いたしな。

やりすぎはよくないんだよな。

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