さて、もうと言えるが・・・
親父が亡くなってから早2週間・・・
やることが多すぎた事もあり、もっとはるか遠い昔のような気がしてしまっているが・・・
未だに現実感の無さだけは残っている・・・
ただ、本当に死亡抽選に当選したかのように・・・
すべての偶然が噛み合って必然の結果が訪れたような感覚が抜けず・・・
人間の生と死を最近よく考えさせられる・・・
私の父は決して本人が望むような理想的な人生だったとは思わないが・・・
少なくともすべてにおいて我を貫いたから・・・・
ある意味幸福だったと思っている。
最期まですべての人に止められたバイクに乗って事故り・・・・
そして大好きなパチンコを閉店まで出っぱなしの後に亡くなったのだから・・・
もうこれ以上ないくらい好き勝手を堪能した。
残された私の事後処理は堪らない事になっているが・・・・
まあ、親父は私に対して最低限の義務は果たしたからな・・・
その義務に対してと思えば文句も言えない。
けれども、引継ぎ0で仕事を引き継ぐようなもの・・・
しかも資料は何も残っていないときている・・・
やってくれんなとぼやきたくなるが・・・・
死んだ人間に何を言っても言う方が悪い。
ただ・・・・
親父の死にざまを見ていて・・・
果たして私は親父ほど自由だろうかと考えさせられる・・・
自由じゃないよな、ちっとも・・・
サラリーマンやっているし・・・
自由にやらなきゃ生きていて嘘だよなあと親父の死を機に思わされるのだよな・・・
結局自由にやる事に対するリスクを受け入れる覚悟がないだけかもしれないが・・・
かといっていい大人が盗んだバイクで走り出すわけにもいかず・・・・
自由を制限しながら、自由になる方法を模索している・・・
そんな感じなんだろうな・・・
好き勝手に生きるための対価が、リスクを許容する苦しみだとしたら・・・・
矛盾している気もするが・・・
世の中楽はさせてくれないよな・・・
三田佳子の息子だって、金があるのに、選択肢がいくらでもあるのに自由ではなさそうだしな・・・
自由に幸福を噛み締めるためには、それを感じる事の出来る能力というか、器が必要なのかもしれないな・・・
昔、斎藤一人氏が書籍でこの世は天国だと記載していた。
受け止め方や見方の問題だけれどもショッピングモールのような、綺麗な服があり、美味い物を売っているお店があるところに自分が存在していて天国じゃない理由がないと記載されていたが・・・
確かにと思う反面・・・・
もっている経済力に制限されると天国の沙汰も銭次第だから、天国に見えてもそうじゃないかもしれない。
まあ、サラリーマンを受け入れて生きてしまったらもうそれは自由を放棄することに等しい・・・
なんとか一発当ててやろうと・・・・
株も含め、タイムバンクも今更ながら仮想通貨にも手を出しているが・・・
新しいものに常に手を出してハマルの待ちが正しいのかもな・・・
メルコインとか出たら迷わず沢山張って、ぶち当たるの待ちをしたいが・・・・
その前に競馬だな・・・
そろそろ感だけはあるんだけれどもね・・・・
まあ、周りが酸欠になってからが本当の勝負。
櫻井章一氏の水の張ったタライに顔を突っ込んで苦しくなったものから負けるのが麻雀というのは・・・
競馬も博打もギャンブルも全部一緒だよな・・・
他人が全員ギブアップするくらいの苦しみの先にしか光はない。
普通の人が耐えられる状態では、普通の結果しか待っていないと言う事だ。
先週から開催も変わっているし・・・・
ここからが勝負どころ・・・
多分なんだが・・・・
大勝ちすると言うか、勝ち確と言うのは信じがたいほどの会心の的中に支えられている・・・
いつかのスズカフューラーの時・・・・
今の買い方していれば間違いなく煉瓦だったんだけれどもな・・・
あれが2017年・・・
10年に1度の奇跡だが・・・
10年に1度の奇跡を掴むだけで、生涯勝ち確定なのだから・・・・
それが的中するまで・・・
一貫性を持って臨みたい。
でも、まだな気がするんだよな・・・・
まだ耐え切れないほど苦しくないからなあ・・
私自身が・・・・
これがもう勘弁してくれとなった先に望む結果があるんだろうな・・・