大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!ミスターシービーだ!
内からリードホーユーきた!内からリードホーユーだ!
さあミスターシービー、吉永の左鞭!
ミスターシービー、ミスターシービーが先頭だ!ミスターシービー先頭だ!
ミスターシービー逃げる、逃げる、逃げる!
史上に残る三冠の脚!史上に残るこれが三冠の脚だ!!
拍手が沸く!ミスターシービーだ!
19年ぶりの三冠!19年ぶりの三冠ミスターシービー!! 杉本清
1983年11月13日のミスターシービーが3冠を制した菊花賞。
奈良県出身の元関西テレビアナウンサー。現在は芸能事務所アライバル所属のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。関西放送記者クラブ会友。関西競馬実況中継の神様と謳われている。
このレースのとき、すでに競馬実況アナとしてある程度の地位を確立していた杉本だったが、実はまだ一度も三冠馬のレースを実況していなかったらしい。
しかしミスターシービーを皮切りに、「皇帝」シンボリルドルフ、メジロラモーヌ、「シャドーロールの怪物」ナリタブライアンと、多くの三冠馬のレースを実況することになった。
三冠馬を生で見ることも貴重な体験だが、そのレースを実況するときというのは、一体どんな気持ちなのだろうか・・・・
想像もできない・・・・
さて、ミスターシービーについては今は知らないファンもいるかもしれないので、少し説明しておこう。
ミスターシービーは、史上初の父内国産の三冠馬だ。父トウショウボーイと同じく顕彰馬に選出され、史上初の父子顕彰馬にもなっている名馬だ。
三冠馬になったあと、5歳(現4歳)時には、その年から2000mへと距離変更になった天皇賞(秋)を制し、四冠馬となった。
しかし古馬になってからの1着はそれのみ。蹄の調子や故障に泣かされ、ひとつ下の三冠馬シンボリルドルフとの「三冠馬対決」は注目されたが、一度も皇帝に先着することはなかった。
まあ、ルドルフが強すぎたというのもあるが・・・・どんなに強い馬であっても、競走馬の生涯というのは、順調にいくことのほうが珍しいというのがよくわかる話だ・・・・
種牡馬として重賞勝ち馬も出したものの、期待以上の良績をあげられず、直系は残念ながら途絶えている。
あのディープインパクトでさえ、現状でハッキリとした後継種牡馬が出ていないのだから、血を絶やさないように繋げるというのも、また本当に難しいものなのだと感じる・・・・
皇帝シンボリルドルフの存在があったため史上最弱の3冠馬と呼ばれているが・・・
競走馬時代は吉永正人を主戦騎手とした
天衣無縫、常識破りと言われた追い込み戦法や、端正な容貌などから大きな人気を博した。
追い込みで3冠獲ると言うのは最弱と呼ばれているが決して弱くはない。
ミスターシービーの母シービークインは第2子(父ハードツービート)出産時のアクシデント(結果死産)の影響で、以降は種付けしても不受胎が続き、ミスターシービー以外には1頭の産駒も残さなかった。
この事から「トウショウボーイに操を立てた」と擬人化して語られることもある。
7頭いる三冠馬のうち、兄弟がいないのはミスターシービーしかいない。
シンボリルドルフの兄弟は大成した馬はいないが、ナリタブライアンには兄にビワハヤヒデがいる。
シンザンにはオンワードスタンという馬がいて中山記念やアメリカンジョッキーズクラブカップを勝っている。
オルフェーブルには兄にドリームジャーニーがいるが・・・・・
ディープインパクトの兄弟もパッとした馬がいない。
ただ兄のブラックタイドはキタサンブラックの種牡馬として有名になったが、現役の時は強い馬ではなかった。
ミスターシービーに兄弟がいたら面白かったかもしれない。