裁決委員の中に騎手出身の人が誰もいないこと。これはアンビリーバブル K・デザーモ
ご存じケント・デザーモはアメリカルイジアナ州ヴァーミリオン郡出身の競馬騎手
1989年には年間で598勝をマーク。これは年間勝利数の世界記録である。1995年には北米で最年少の通算3000勝を達成。
1993年のジャパンカップでコタシャーンに騎乗。
直線一気に伸びるが、残り100mのハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がるハプニングを起こす。すぐ気がつき追い出すがレガシーワールドには追いつけず。
2001年にレディパステルでオークス制覇
審議の対象となった場面のVTRを見ていて「騎手心理からみてあの場面の斜行はやむをえないんだろうなあ」というケースはよくある。
これに関してデザーモ騎手が「日本に来て何に一番驚かされたか、というと「裁決委員の中に騎手出身の人が誰もいないこと。これはアンビリーバブル」
確かにどう考えても変だ。
アメリカはどこの競馬でも裁決の時に最も大きな発言権を持っている委員はみなジョッキー出身の人なんですよ」と語っていたらしい。
なるほどと思わされる言葉。
戦をしたことない人が戦について語るようなものなんだろう。
史記の趙の話を思い出す。
そう趙括だ。
趙括は名将といわれた趙奢の子で、幼少時より兵学に通じており、時には名将といわれた父を論破したこともあった。
しかし、趙奢は「あれの知っているのは机上の兵法である。戦争は生死のかかったものであるのに、気軽に言葉にしている。人の生命を軽んじる趙括を将軍にすれば必ず負けるだろう」と言葉を遺した。
長平の戦いにおいては、当初名将・廉頗の指揮でよく防戦していた。秦軍は遠征であるため焦り、戦局打開に向けて秦の宰相・范雎が一計を案じ、「秦軍は老人の廉頗よりも、兵法の名家たる趙括が指揮を執ることを恐れている」という流言を広めた。
趙の孝成王はこれを信じて廉頗から趙括へ総大将を交代させてしまう。
趙括の母は、夫である趙奢の遺言をもとに、趙括を将軍にしないようにと王に直訴したが容れられなかった。
趙括の母は代わりにどんな結果でも一族などに罪を及ばせないよう願い、孝成王もこれは認めた。
机上の兵法のみを理解していた趙括は、廉頗の戦法を全て兵法書通りに変更して秦軍に挑んだが、歴戦の勇将である白起将軍の囮作戦にかかり、軍を分裂させられ、糧道を断たれて大敗、趙軍40万が飢えに瀕した。状況を打破すべく趙括は自ら討って出るが、大量の矢を射られて戦死した。
と・・・
実際の戦を知らぬ理論だけは知っている人間の結果となにか重なる部分がある。
会社でもそうだよな・・・
現場や業界を知らない人間がトップに立つと悲劇しか起きない・・・・
現場を知らない人が頭に立つと・・・・
大体悪い結果をもたらせる・・・・
考えさせられるコメントだと思うのだ・・・・