ホープフルステークスのだけれども・・・・
2歳戦なんか分からんよね。
なのでNスポする告知も忘れてた。
まあ、後輩の予想見て、なんか1番人気が強そうだし、それでいいんじゃない?という予想
そして有馬記念で「三浦」は三浦だなと思ったけれども・・・
いきなり今日はミューラー・コーセーが海外から来ているかもしれず、もう一回重めの印を打つ
あまり買うつもりもないんだけれども・・・・
あと、流れのないルメ様が「マカヒキ」みたいな名前の馬に乗っているので、いきなりNスポと同様にいきなり復調をケアしておきたい。
どっちも馬的にはきつそうだけど2歳戦なんか未知数が多すぎて分からないよね。
てなことで、なんかすごい数字叩き出しているらしいし、2倍つくならクロワデュノールでいいんじゃない
去年の覇者レガレイラが有馬記念勝っちゃうようなレースだし、強い馬が普通に強く勝つんじゃなかろうか。
東京大賞典の方が面白いのではないかと思っているので、まあ流すようにだ。
でもって今日の午前のレースは後輩の推しレースがあったけれども回避要件だったので、回避
午後の候補レースが推されれば面白いと思うんだよね。
けれども、ちょっと早いけど、本年度の回収率
開催別だと入りきらないので競馬場毎にした
回収率現状122%
本当の意味でギャンブルを知っている人からすればいかにこれが驚異的な数字か分かるはずだ。
まあ、絞っているし、負けを避けているからね。
けど、どうやら後輩の買い目通りの方が私より回収率が良いっぽいんだよね。
工夫してそれって由々しき問題だけれども、欲に振り回されては駄目で、来年も同じくらい回収できたならオールオッケーの万々歳だ。
この後勝負レースがあったとして、負けてもまあマイナスになることはないかな。
できれば、何かの間違いで連勝して回収率130%とかになってしまわないかなとか期待しているけれども。
それにしても、自分で言うのもなんだけれども、ここ10年の成長が我ながら半端ないと思う。
あれほどセンスの欠片もなかった私が、こういう風になれるんだなと
感慨深くなってしまう。
会社の年収も交渉し、結構いい数字もらえているし、今年自分が新規営業では敵わないと思っているカリスマ営業の友人を50歳にして自社の正社員に引き込んだ。
これで来年の結果がよりラッキーな物になるし、彼に貸しがある分、自分が敵わないような最強クラスの営業マンを自分の札として個人事業主の方の営業マンで使えるのも大きい。
正直、30代くらいは満足に金も使えなかったし、金がもっともっとあればと願っていた。
けれども、実際に何不自由なく感じるくらいにお金を使うと、確かに「金は不幸を避けれるけれども、幸せは買えない」ということが一番しっくりくる答えになる。
金があればどこに行っても最低限の礼節をもって迎えられるため、不幸にはならない。
けれども、人間性を磨かないとその一歩先の幸福という充足は得られない。
でも、これも不自由なく金を使った事のある体験をしないと分からないものだ。
正直、私は貯金なんか一切していないが、実は貯金をして備えるという発想が間違っていると思っている。
老後の資金問題もそうだが、インカムで生活が賄えなくなってしまっては駄目なのだ、そもそも
にもかかわらず間違った常識が刷り込まれていて、貯金をして、年金で貯金を取り崩しながら老後を過ごすという破滅的な常識が普通だと思われている。
それはもう江戸時代レベルの過去の話で、今は70超えても割のいいインカムの仕事をし続けないと生きてる意味が無くなってしまう。
金で避けれるはずの不幸を受け入れることになってしまうのだ。
不幸の数は少なければ少ないほどいい。
なので会社の仕事をしながら並行して、自分の事業も会社の邪魔なにならずに両輪駆動としてやれる事業を立ち上げるべきなんだよな。
じゃあ、何やればいいんだと10年前ずっと悶々としていたけれども、自分の常識が邪魔しているだけで、正直、資格なんか何もなくてもなんでも仕事にできるのだ。
不動産もそうだし、自分が資格ないなら資格持っている友人と組めばいい。
他の人や社長が何をやっているかを見て、何故それを続けることができているかを見ていれば、気づけるようになるのだよな。
正直、国の補助金に詳しくれなるだけ、それを勉強するだけでいくらでも仕事にできると思う、
気付けないとしたら、妨害しているのは自分の常識だ。
そして、私が言っている事が何言っているんだコイツと思ったら、まずは自分が本当に正しいかを自問した方が良い。
結果を起点に考えて、自分が正しかったら、自分が望む生活をしている自分という結果を出しているはずだ。
人の結果と意図、それは常に見ていた方がいい。
けれども、本当に思うのがすべての扉を開くためのマスターキーはマインドと行動だけだ。
マインドは、本気で自分にはラッキーしか起きないと刷り込むだけでいい。
そう自分を教育するのだ。
大体の判断は無意識で行っているんだから、無意識を自分に都合よく。
何も考えずに最良の選択をする自分に育て上げるのだ。
否定からは本当に何も生み出さない。
昔はすべてにおいて私自身が否定的だったからよく分かる。
何も分かっていないくせに、自分が無知であることすら気づかず、誰かに刷り込まれた間違った常識を振りかざす。
恐ろしく可能性を感じない行為を繰り返していた。
そして自分が間違っているかどうかにすら気づけなかった。
最近は、暇さえあれば「私にはラッキーしか起きない」と自分自身に英才教育を施している。
ちょっと前に記載したかもしれないが、漢字は本当に偉大だ。
儲けるとは信じる者と書く。
信じ続ける人が儲かるのだ。
そして信じるとは「人に言う」、もしくは「人が言う」と書く。
言い続ける事が信じる事なのだ。
だから言った方がいい。
漢字は歴史だ。
人は歴史から学ばないと言われているが、まさにそうじゃないか。
信じる、儲けるという言葉すら、我々は実践できていない。
自分自身に幸運しか起きない、ラッキーしか起きないと言い続けるマインドが結果に作用すると自分自身の結果を見て本気で思っている。
考えてもみて欲しい、画像の結果を出しているような人それほど周りにいるだろうか?
結果を起点に考えれば、ここの部分では比較的私は望む結果じゃないだろうか?
そして結果を出していない人で「ラッキーしか起きない」とか縛られた常識で見れば「頭のおかしい事」言ってる人、周りにいるだろうか。
多分いない。
正直、自分にはラッキーしか起きないと言っている人間は私の周りで私だけ。
だから結果を見る限りこの発想は間違っていない。
そして後は行動だ。
なんでもやってみること
選択肢の扉は損得とか縛られた常識、刷り込まれた常識で判断せずにリスクはちょっと考えた方がいいが、致命傷じゃないものはなんでもやってみる事。
そこでいろんな社会層を見る事で気づきが加速する。
何もしない奴には何も起きないし、チャンスもヒントも与えられない。
だから、なんでもやるを継続するだけで成長は可能なのだ。
できれば10代で気づきたかった。
多分世界は、刷り込まれた常識で才能を潰されている人が多数存在する。
その才能を世に出すためのキーポイントは何かの行動しかない。
なので、また一つの行動として近いうちに警察署に取引先の社長が拘留されているのだが、差し入れに行ってこようと思っている。
これもギャンブルなんだが、拘留されている社長さんは私から見ても人間レベルが高い
この社長さんは前科持ちになってしまうかもしれないが、前科持ちでも人として付き合いたい相手だ。
前科持ちとかかわりがあると、刷り込まれた常識ではリスクにしか感じないかもしれないが、不起訴の可能性も十分ある。
博打としては裏切らなければリターンは期待できるし、リスクは低い。
こんなのやらない理由がないよね。
自分が敵わないレベルの営業マンの社長さんが苦しい時に可能な協力するだけでいいのだから。
それで報われなかったとしても、大したリスクじゃないし、人を見る目を再構築するヒントにしかならない。
報われたらそれはそれでラッキーでどっちに転んでもラッキー
政治家の選挙の手伝いも行っているけれども、経営者のレベルも結構な高低差がある。
その海抜の高さを知ることができたのも行動というマスターキーが扉を開いてくれたおかげだ。
2025年も新しい事に挑戦し、もっと知っている世界の景色を広げてやりたい。
その前に午後の後輩のレースで推しレースがあって連勝する事を願いたいけれどもね。
さて、2024年もお世話になりました。
2025年もよろしくお願いします。