自己都合に対してスーパーポジティヴは是か非か

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さて、これは前々から考えていた事ではあったんだけれども・・・・ 今回の父の通夜で絶対にやろうと決めたのだ。 私は、社会人競馬サー...
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さて、普通のネタになってしまうのだけれども・・・

うちの会社の方針的に思ったのが元々の表題だったのだけれども・・・・

例えば、何も決まっていないのに来月までに300本決めて来いと言われ、無理なはずがないと社員を詰めたりするんだけれども・・・

ある種自分に都合の悪い事など何も起こらないという発想でいるとしか思えず、実際には都合が悪い事が起きていても認めないというかなかったことにするというか・・・・

もしくは自己都合において悪い事が起きても、ヒントやチャンスの前のピンチだとかプラスに変換しているのかもしれないけれども・・・・

そういう考え方をしているとしか思えないのだけれども・・・

他者に迷惑というか被害が起きない、巻き込みがなければば正しい発想だと思うのだよな・・・

けれども他者を自己都合に巻き込んでしまうと弊害が起きるよな・・・

自分の裁量というか、自己完結できる範囲内における自己都合に対してスーパーポジティヴは正しいと思うが・・・・

他者が介在してしまうと傲慢になってしまうのかもしれない。

そんなことを思う事があった。

というのも、私は少し前から自分にはラッキーしか起きないと決めた。

決意というか決断というか。

でも、私が私に起きる受け止め方を選択できるのは当たり前の事なんだから・・・・

自分にとって都合よくなるように受け止め方を選択した方が良いに決まっていると思うんだよな。

これは考えてみるまで、自己都合に対してスーパーポジティヴであることと気づかなかったけれども・・・

よくよく考えてみればそういう事なんだよな。

自己都合に対してスーパーポジティヴに生きようと・・・

都合のいいところだけを切り出して、そこだけ記憶や記録する事で・・・

結果的に常にラッキーだったと記憶を刷り込もうとしている。

例えば、自分宛のメモ帳にラッキーだったこと、都合が良かったことだけを書き出していると・・・

脳がそのように認識するようになるし・・・

実際にラッキーな事は多い。

いや、ラッキーの対照的な内容をすべて記憶から排除しているだけかもしれないが・・・・

ラッキーの反対側は、何かのヒントか結果的にラッキーになるための必要項目と考えるようにしているんだよな。

実際に、前の会社で一番賢かった人は明日の楽しみのために今日を我慢する事は間違っていると言っていた。

明日死ぬかもしれないのだから、楽しさはその日のうちに確定させるべきだと。

毎日が楽しければ結果的に死ぬとき楽しかったと言えるよねと。

非常に合理的な考え方だと思うんだよな。

当時は分からなかったけれども。

死のうは一定であり、避けられないのだから与えられている時間内でどう生きるかは物凄く重要だ。

苦しさや辛さよりも楽しい方が良いに決まっている。

であれば、人間は自分が考えている通りの人間になると言われているし・・・・

実際に言葉に出している事って、なんとなく現実になっている実例を見ていると思うのだ。

3年以内に起業すると言って、実際に起業したモンスター営業然り

逆にそもそも言葉に出し続けている人自体をそれほど見た記憶がない。

ということは言葉に出し続けている人って、実際にそうなっている人達なのではないかと思うのだ。

精神論になってしまうが、それでもラッキーしか起きない人と言い続けていれば実際にそうなっていく気がするんだよな。

考えてみれば、結果的に私にはラッキーな事しか起きない言い始めてからラッキーしか起きていないし。

先日、前職の職場を辞めるという後輩から電話がかかってきた。

私が辞めたのが約3年前・・・・

彼はもうこの会社には居れないと言っていた、課長になっていたにもかかわらず。

そして、私が辞めた後も退職ラッシュが続いていて、今年だけで10年以上の社員が4人辞めたらしい。

丁度3年前のこの時期、10年以上勤めて、今思えばい会社だなと思っていた会社から、権力者にとって邪魔だった私は営業所で一番売り上げをあげていたにもかかわらず仙台転勤を言われた。

私を仙台営業所に飛ばすような発想をする会社には先がないと思い即決で退社したんだけれども・・・・

たった3年で誰も残んないような会社になってしまい、結果的に嫌な話だったけれどもラッキーになったんだよな。

当時より3年も年齢を重ねた私では今のこの歯科業界という良い業界に入れなかったかもしれない。

そう考えると、一見アンラッキーでも結果的に超ラッキーなのだ。

一番いい時に辞めたねと前職の色々な人に言われたし。

後付けでもなんでもいいから、起きた事象はラッキーな事だけと考えていくのは実際にそうなるんじゃないかと薄っすら思っているのだ。

そもそも絶望的な状況で始めた飲食店も・・・

いきなり従業員に辞められたり・・・

違う店舗を乗っ取られそうになって裁判沙汰になったりもしたけれども・・・・

でもやってみたら、ピンポイントで結果的には国の手厚い補償がでたりしてラッキーだし・・・・

客観的に見ても結構ラッキーに見えるんじゃないかと思うんだよな。

てことは考え方は間違っていないのではないかと。

自分には何が起きてもラッキーな事しか起きないと決め、ラッキーな事だけ、都合のいい部分だけ切り取って刷り込みようにメモなどを自分宛に蓄積していく。

美味しいところの上澄みだけ、プリンで言うカラメルソースだけを集める。

解釈も都合がいいようにし、都合が悪い事は次のラッキーの為か何かのヒント。

そんなことを実際にやっている人がどれだけいるか知らないが・・・

でも、本当にラッキーな事しか起きていないと思うのだ。

ようやく扉が開いてくれたというか・・・・

で、その前職の後輩もそうだけれども・・・・

以前の大学の後輩にもだけれども・・・

私が知っている人の中で一番楽しそうらしいのだ。

確かに、面白がろうとして生きているし、楽しい方が良いに決まっていると思っているし、楽しもうとしている。

けれども、知っている人の中で一番楽しそうって、逆にみんなどれだけつまらなさそうに生きているんだろうなあと・・・

別にリア充アピールしたいわけでもなんでもないし、実際にやっていることを言っているだけなんだけれども・・・

誰よりも楽しそうに見えるなら、それはそれでラッキーな事なんじゃないかと思うんだよな。

で、こう記載すると・・・・

結構反感買ったりするんだよね・・・

何故か私には理解できないんだけれども・・・・

何か、ラッキーしか起きないとか思っているような奴の鼻っ柱をへし折ってやりたいとか思われるんだろうか・・・

自己完結しているのだから、迷惑かけない以上どう考えてもいいでしょうにと思うんだろうけれども・・・・

苦しさや辛さがある人から見ると、何も知らない恵まれた温室育ちがとか思われたりするのかもしれない。

先日しこたま、飲み屋の女の子にその考え方がイライラすると怒られた。

メンタル的には強くない系の娘で夜とかのいざこざやしがらみで苦労していると自己都合にスーパーポジティヴな人に対して腹が立つのかなと思えた。

何も分かっていないくせにということなのかもしれないけれども・・・

けれども、結構私も普通に辛い思いしてますぜって思うんだよな。

ただ、行動で何でもやると決めて切り抜けてきた結果、辛さを克服というか・・・

こなしてきた結果こういう考え方の方が良いと気づいて決めてやっていて・・・

ただただ、何も考えずに何もせずにラッキーで恵まれているだけというわけじゃない。

売りを上げていて、高齢の両親いるのに仙台に飛ばされそうになって職を辞することになったり、youtubeでアップしても匿名性で袋叩きにあったり、収益無効化されて引退させられたり、木村花というプロレスラーがSNSの誹謗中傷で耐え切れなくなって自殺してしまったのは記憶に新しいが・・・

誹謗中傷受ける事など日常茶飯事だし、親父他界してその無茶苦茶な内容の契約引き継いだり、ゴミ屋敷のように残された廃棄に苦労する物の負の遺産処理したり、店を乗っ取ろうとするスタッフとの裁判沙汰の争いになったり、いきなりスタッフにある日突然辞められてコストのかかる飲食店どうしようか頭を抱えたり・・・

結構、本気で困っている時とか誰も助けてくれないのが当たり前だし、それを当然として受け入れるべきだよなと実感して、咀嚼し飲み込み消化したり。

普通に苦しいからだけで助けを求めて、助けを得られない事を負の感情にしちゃいけないよなとか考えて、正答が出ない物をどうするか四六時中考えたり。

決して、楽でラッキーで恵まれているだけではない

その状況で高齢の母だけでは、すべて私自身が自分でどうにかするしかなく・・・・

裁判沙汰も赤字飲食店の進退も全部抱えてやっていた。

正直、眠れないくらい頭抱えていた時期も当然あったし、おかげで当時のストレスからか睡眠時の食いしばりが酷くなり、今でも毎朝顎の疲労感が凄い。

高齢の母に心理的な負担を与えるわけにもいかず、話が通じない相手との裁判沙汰になる内容とか・・・

高齢の親を守るためにも負けられない争いとかで負けたらどうしようかなとか考えながら、気が狂いそうになったことも多々ある。

親に安心感を持って生きてもらうためにも、ここで折れてもいけないし、負けてもいけないストレスとプレッシャー。

そんな中、被せるように競馬でしこたま連敗したりとか・・・・

そういったことの連続性や追い詰められた状況を全部凌いだうえで・・・・

自分にはラッキーしか起こらないと決めて言い続けている。

考え方を否定されるかもしれないが、それに至るまでのプロセスだって普通の人よりはそれなりに抱えて生きてきたし、何も苦労していない天狗やピノキオではないつもりだ。

そのうえで、ラッキーしか起きないと決めて言い続ける自己都合に対してスーパーポジティブであることは否定されるべきものなんだろうか・・・

ただただ、私の説明がその娘に対して不足していただけかもしれないけれども・・・・

けれども穿った考え方で翻って考えると・・・・

何故、他人の勝手な都合の良い自己解釈による自己完結が腹ただしいと思ったのか?

感情の部分が強いとは思うんだけれども、嫉妬的な感情なんじゃないかと思うのだ。

これも言ったら物凄く怒られるから絶対に言ってはいけないんだけれども・・・

何様のつもりだとか勘違い野郎とかどういわれるか分かったものではない。

けれども、私は基本的に妬むという感情がかなり乏しい・・・

煽られて嫉妬的な感情が首をもたげる事もあるけれども、すぐに男の妬みや嫉妬ほど恥ずかしいものはないと思い直し、アンガーマネジメントならぬジェラシーマネジメントはできる。

人間としての恥をかきたくない欲求が強いので、その解決方法を考え、上書きと分散かなとか考えてしまう。

ただ、私の考え方に対してそういった感情になるとしたら・・・

真似ができないから、過去の自分が背負った苦しみに対して、私が苦しくない事に対しての比較によるものなのか、それとも勝手な考え方に対する、勝手さにフォーカスされた憤りなのかは分からないんだよな。

まあ一言で表されることなんてないし、否定もされるだろうから言えないけれども、そして私に乏しい感情でもあるので、正解は分からない。

けど結構同様に怒られた記憶があるんだよな・・・

人は盲目的に自分の正しさの旗を掲げている奴に思い知らせてやりたい欲求とかあるんじゃないかと思えるくらい・・・

まあ絶対に曲げない人はすぐに放っておけばいいのにと思うんだけど、コミュニティを存続させる前提がある世界では異端児であり、排他されるべき存在なのかもしれないよな。

けれども、鼻につくくらい自信満々に見える考え方と生き方をした方がメリット大きいと思うんだよな、体感上だけれども・・・・

だからこそ、何度でも言うが、私にはラッキーしか起こらない。

そう思っている、何が起きても死ぬ事以外かすり傷だし、ラッキーに変換すればいいだけ、無理やりにでも。

でもそうやっているうちにそうなっていくんじゃないだろうか・・・

自分を実験台にしようと思っている。

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