あなたは懼れるであろう。あなたの懼れが相手の懼れを上回るときが必ず来るだろうからだ。そして負ける。いつかきっと必ず負ける。 森巣 博
作家、ギャンブラー
ギャンブル系の小説を多々記載しているらしい。
上記の「懼れ」は恐れると同義。
さて、この言葉ポーカーの実力者が言っていはいなかっただろうか?
いつも強気にプレイしろと。
そして・・・
バックギャモンの優勝者も言っていた。
勝って当然と思っている人間と、幸運でここまでこれたと思う者が対戦すれば前者が必ず勝つと。
そう・・・
桜井章一氏も言っている。
振り込みを恐れるなと。
恐れと言うのはどうしても守備的になり・・・
相手の想像の範疇を超えるような行動をとりににくい。
相手の想像の範疇に収められてしまっては・・・・
被せられるし、舐められる。
怖くない相手に人は全力で向かってくる。
昔中学の国語の教科書に菊池寛の「形」という話があった。
菊池寛自体、ギャンブラーであり競馬の名言とされている言葉をそれなりに残している。
でもって「形」の内容だが・・・・
下記の通り。
中村新兵衛は、「槍中村」と言われるほどの槍の達人だった。
その認識は敵味方に深く浸透し・・・・
彼が身につけている陣羽織と兜を見ただけで敵が恐れおののく程の脅威の存在であった。
槍中村の陣羽織と兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり、また、味方にとっては信頼の的でもあったのだ。
ある時、新兵衛は、初陣に出る若武者から彼のトレードマークである陣羽織と兜を貸すように頼まれた。
新兵衛はその頼みをこころよく受け入れてしまうのである。
明くる日の戦いでは、新兵衛から借りた陣羽織と兜を身につけた若武者は、敵陣に乗り入り、大きな手柄を立てた。
一方、新兵衛はというと、その日は、いつもと違う「形」をしていたため、勝手が違っていた。
いつもの陣羽織と兜を身につけた新兵衛にとっては、自分の姿を見て、怖じ気づき、狼狽えて、血迷う敵を突き伏せるのに何の苦労もなかった。
ところが、いつもと違う「形」をした新兵衛に対して、敵は怖じ気づくことなく十二分の力を発揮してきたのである。
新兵衛は、普段の戦いの二倍もの力を発揮したにもかかわらず、突き負けそうになった。
考えなしに陣羽織や兜を貸したことを後悔する気持ちが脳裏をかすめた瞬間、敵のつきだした槍が彼の脾腹(ひばら)を貫いていた。
という話である。
ギャンブルは・・・
いや勝負は・・・・
恐れるのではなく恐れさせるのだ。
そう・・・
先に恐れた方が負ける。
だから・・・
恐れさせるようにしなければならない。
麻雀でもそうだろう。
会社のまるでセオリー無視した新人に恐れられず・・・
わけのわからん場に三枚切れのカンサンソウに私の5面チャンの面チンが負けるのだから。
普段から私のリーチを恐れさせていれば・・・
私がツモっていたはずなのだ。
何気にギャンブルの本質をついている名言なのではないかと思える。
少し前に記載した英国で活躍した伝説のギャンブラーで、チャーリー・ディックスという人物の言葉を思い出す・・・
それがギャンブルは先に選択した者が負けるという言葉・・・・
そして・・・
クイズ番組等で最初に選択した答えを変えた方が結果的に有利という話とも似ている・・・・
つまり・・・・
先に選択すると恐れも出るし、不利なのではないだろうか・・・・・
これは麻雀でも言えるかもしれないと・・・・
ちょっと再度復習させられた・・・・