さて、先ほど2024年のオークスのNスポを更新した。
見ていると、まあ割れている
どう考えても買ってはいけないレースに見えるんだが・・・・
そして私の本命予定のタガノエルピーダに後輩のコメントがない
え~という感じだが、まあクインズウォークとスウィープフィート評価するならタガノエルピーダでも勝負になると思うんだよな。
なんとなくショウナンマヌエラが気になるんだよな。
お話にならない可能性も十分すぎるほどあるんだが、芝も内が悪くないなら意味不明の逃げ馬は抑えた方が良いと思っている。
ショウナンマヌエラは新潟2歳ステークスでアスコリピチェーノの2着
アルテミスステークスもチェルヴィニアには千切られているが、左回りは言うほど負けていない。
今回は東京の左回り
誰も気にしないだろし、イソノルーブル的な逃げ切りがあってもおかしいとは思えない。
といってもひきつけて逃げたら無理だろうからちょっと離して逃げて欲しいよな。
人気のないところでは後輩が挙げていたエセルフリーダとサフィラは絶対に抑えておきたい。
まあ、買わないのが一番正しい気もしている。
なんとなくなんだけれども、ギャンブルも余計な勝負を避ければ避けるほどツキが上がる気がするんだよな。
ここ2週馬券をほぼ買っていない。
結局、昨日はストレングスと後輩の推しレースを心の脆弱性を出してしまい購入し、3000円負け
勝負の時のベットを考えれば負けのうちに入らないけれども、ここを300円負けにできなかったのがまだまだ自分の弱さを感じる
買うべきレース以外買ってはいけない。
毎週言い聞かせているのに、頭では分かっているのに、まだ実行できない。
だからこそ、感情をコントロールするために、ベットを下げるべきだと思うのだ。
オークスも来たら悔しいと思うお組み合わせだけを買いたい。
本当はそれでも買うべきではないと思っている。
あとは、今日は勝負レースがあるのかないのか分からないが・・・・
あまりそそらないんだよな、候補のレース。
想定通りに行かなさそうというか・・・・
馬場傾向がハッキリしているのでこういうときに勝負したいんだけれども・・・
まあ2週買わないとか結構ツキが上昇しそうなきがするんだよな。
あくまでも気だけだけれども。
そして社会人競馬サークルの件
本日締め切りです。
現状「はじめまして」の方2名含めて、10名参加予定になりました。
私自身もオフ会での良縁のおかげがきっかけてインドに無料で招待されたり、競馬で結果を出す考え方などを教えてもらいました。 新世界の扉になるかもしれませんので、よろしければご参加ください。
多分、競馬好きの方であれば、深い知識を持った参加者の方が多いのでかなりの刺激になると思います。
普通に競馬好き同士で偶然巡り合うには難しいメンバーだと私は思いますので、奮ってご参加いただければと思います。
さて、最近ラッキートリガーのパチンコ緋弾のアリアを打っている。
結構、勝っていて、あまり金額を突っ込まないためか、負けて小負け、勝って2万発越を2回経験している。
台のスペックのおかげかもしれないが、以前の私には考えられない出玉で、2万発超えて球を出したことが過去にはあまりなかった。
けれども、今は当たり前だと思っている。
違いは何かを考えたんだけれども、多分マインドも積み重ねなんだよな。
ラッキーしか起きないと決めてからもうすぐ4年くらい経過するだろうか。
何を馬鹿なと思う人も多いと思うのだけれども、個人的には結果が良くなっているから私は正しい考え方だと思っている。
そもそも一番大事な事は自分の人生である以上、自分で物事を決める事だと思うんだよな。
起きた事象が何であるかを自分で決める事。
事実なんてものは、自分がそうだと決めた事になる。
変な話事故に巻き込まれたとしても、それを不幸だと捉えるか、何かのラッキーのためのラッキートリガーだと思うかで事実は変わる。
人間のメンタルは弱くて、感情に任せるとロクな判断をしない
というよりロクな事実に決めない。
だからこそ、自分で決めることが大事だと思っていて、何が起きてもラッキーだと決めてしまえばそれが自分の中では事実になる。
4年くらい言い続けていると、会社の仕事もラッキーで結構受注できるし、ギャンブルもなんとなくどれも負けていない。
自分の無意識にラッキーしか起きないと教育し続けた結果、無意識がようやくラッキーしか起きない学校の卒業レベルに育ったということだと思うんだよな。
昔は理屈や論理がすべてだと思っていたが、今はまるでそうは思わない。
結果がすべてだ。
そもそも自分が正しいと思うような理屈や論理は多分間違っている。
もし、正しかったら何故いま働いているのかという自問の回答が必要だ。
その仕事がやりたくて仕方がないならそれはそれで物凄く正しい。
でも、少しでもそうじゃないと思うところがあれば、自分の正しいと思う事がそもそも間違っているのだ。
競馬の荒れると思って堅く、堅いと思って荒れるようなものだ。
だから、私自身の結果を鑑みると、ラッキーしか起きないと決める事は結果的に私にとっては正しかったし今も正しくあり続けている。
社長に年収交渉したら年収は上がるし、相手が弱い業界のおかげで仕事もパチンコメーカーの時よりノンストレスでやらせてもらっている。
競馬も人の協力のおかげで勝たせてもらっているし、パチンコも好き勝手やっている割にはこちらも負けていない。
会社の401Kもなんか知らないけれどもS&P500にオールインしたら1年で1.5倍以上になるし。
最近はバフェット指数が200近くて怖いから債券に変え始めたけれども。
高杉晋作の辞世の句で有名な何度も記載している上の句
面白きことも無き世を面白く
いい考え方だと思うのだ。
普通に何も考えずに生きていると、面白い事など何もないこの世の中を面白く生きようという決意というか覚悟というか。
それをやって生きてきたという自負、考え方が私にとっては凄みというか真実を感じる。
そして、その下の句は高杉晋作の看病をしていたという尼僧の野村望東尼(のむら もとに/ぼうとうに)が作ったとされており、「すみなすものは心なりけり」だ
それの棲み分けは自分の心次第という事。
明治維新時代から多分、いや、戦国時代から人間は何も変わっていない。
最終的な幸も不幸も、自分のマインド次第だ。
幸と決めれば幸となるし、不幸と決めれば不幸になる。
だから、私自身が良績になっていると思っているので、他の人にもラッキーしか起きない人になることを推奨している。
ギャンブルにも例外がない。
そう決める事で心にも余裕ができるし、否定も恐れなくなる。
それでも、私と同様にラッキーしか起きないと言っている人は書籍を含めて、他界した方を含めても私以外では3人しか知らない。
斎藤一人氏、西田文朗氏、竹田和平氏あたりだろうか
少なくともそう決めるだけで、何百万人に1人の稀有な存在になれるかもしれないのだ。
そんなわけで、今日は張れるレースあるかどうか分からないけれども、良い一日、ラッキーしか起きなかった一日を確定させてやりたい。
未来は今日、いや今の連続性の先にある。
今日が良くないと、明日のより良い一日の選択の扉が現れないかもしれないのだ。
昔はパチンコで負ける事も、連荘しないことも以前はツイてないと思っていた。
でもラッキーしか起きなくなってから2万発出ても、もう少し出ても良いよねとか思う意識になっている。
何気に過去のパチンコの結果を考えると、ラッキーしか起きなくなってから平均出玉が明らかに増えているんだよな。
10連とかした事なかったのに、今は20連行かないかーみたいな感覚だしな。
自己教育は大事だと改めて思わされる。