結果による統計はその測り方が同一であれば再現性があると思うんだよな。
この記事でも記載したのだけれども・・・
運という掴みどころのないものを最近ようやく外観だけ薄っすら見えてきたような気がして・・・・
これはやはり概念とか自分の認識によるものだと思うんだよな。
ラッキーだと思えば、結果的に何が起きてもラッキーなので、ラッキーしか起きなくなる。
そう決めるか、宗教のように信じれるかが肝なのではないかと思っている。
信じる者と書いて儲かるという漢字になる
そもそもなんだが、本当に宗教が意味がなかったりしたら少なくともキリスト教で言う西暦の2021年間も残っていないだろう。
無意味な物は淘汰され、意味のある物だけが残る。
学歴も以前はそんな大した差はないと思っていたが、飲み屋の隣に座る人の人間レベルやうちのような魔女狩りが行われて三年以内の離職率が軽く50%超えるような会社に入ってくる大卒じゃない人材の人間レベルとか見ていると・・・・
どう考えても学歴が存在している理由が理解できる。
ちょっと前のひろゆき氏の記事にも面白いと思ったのが下記だ。
大卒と高卒だと、平均生涯年収の差が3000~5000万円と言われてます。
まともな企業でデスクワークだと大卒じゃないと応募すら出来なかったりします。
現実に対して『高卒でも収入高い人はいる』とか平均の意味が分かってない反論を見ると大学行かないとこうなるんだな。
これ私も思うんだけれども、選択肢が絞られれている現実を知らないって恐ろしい事で・・・
大卒の親の子供は大卒になるものとされているが・・・
それは自分が体験してきたから分かるからなんだよな。
ところが、そうじゃないとその大卒である優位性の恩恵を受けないので知らない事になる。
これって恐ろしいんじゃないだろうか・・・・
まあステルスエデュケーションだよな。
私も高校の夜学しかでていない親父に3歳の頃から絶対に大学に行けと言われていたからな・・・
親父は大卒じゃない事で辛酸を舐めた側だったんだろう。
私も思うが、どんな大学でも卒業しないよりは絶対に卒業した方がいいと思うし・・・
それなりの大学に入ったなら、講義を学ぶよりもそのそれなりの大学に入ってきた人たちとの人間関係の構築に力を入れた方がいい。
社会に出て思うけれど、ネットでわざわざ私と会おうとするような奇特な人は別として・・・
大体私よりも優秀な人が多いのだけれども・・・
自分が通常ルートで出会た人々と比較すると結果的に大学時代のサークル員や後輩やクラスの人間の人間レベルがまともだったもんなと思うもんな。
誰が考えてもすぐばれるような嘘つかないし・・・・
そもそもこいつ本当に馬鹿だなと思うような人いなかったしな。
雑学もある程度皆備えているのでそもそも話が通じないとか、話を合わせるために階段を下りる必要がなかった。
仕事中に酒飲んで寝てしまって、内ポケからストロング0こぼすような人いなかったしな・・・
酔っ払って暴れて空き瓶投げてくるような人もいなかったし・・・・
いや、メンタルやられて今そうなっている人もいるかもしれないが・・・
といつも余談書いていると話がずれる・・・・
そう運の話とAIの話だ。
最初の記事に書いた運の大学の実験の話・・・・
さまざまな分野の研究者が、普通の人が「幸運」として片づけてしまう事象に対して、有効かつ数値化できる特徴を見つけ出そうと取り組んできた。
そうした研究の多くは、私たちが「幸運」だと思うような事象には、確率よりも心理的作用のほうが強く働いていると結論づけている。
これは物凄く重要な話で真理だと最近私は思っている。
繰り返そう
私たちが「幸運」だと思うような事象には、確率よりも心理的作用のほうが強く働いている
そしてその実験はこうだ。
英ハートフォードシャー大学で心理学を教えるリチャード・ワイズマン教授は、不運な人と幸運な人の違いは何かを解き明かすため、数多くの実験を行っていた。
そのうちのひとつでは、被験者に対し、新聞を渡して読むよう指示しました(被験者たちは、自らを幸運だ、または不運だと思っている人たちでした)。
ワイズマン教授はその新聞の中ほどのページに、1面の半分ものスペースを割き、大きな文字でこんなメッセージを載せていました。
「実験スタッフに、これを見つけたと伝えれば、250ポンドもらえます」。
大きなスペースであったにもかかわらず、このメッセージを見つけられた人と、見つけられない人がいました。
そして、自分は幸運だと回答していた被験者の方が、高確率でこのメッセージを見つけたのです。
逆に自分を「不運」だと思っている人は、いつも何か不安を覚えている様子が見受けられ、そのために観察力が損なわれたようだ、とワイズマン教授は記しています。
そう、運の真実は自分がラッキーだと思っているかどうかで気づけるかどうかも作用してくる。
そして・・・
この記事でも記載したが・・・
我々は自分で考えているようで、そう考えるように仕向けられているんじゃないかと思うような時がある。
特にギャンブルをしていて裏目を引いているときだ。
このそれを選ぶように考えさせている者の正体は私は無意識の自分と結論付けた。
だからこそ、無意識の自分に自分が幸運な人間であると気づかせる事、認識させないと・・・
不運であると思っているとそうしなきゃと余計な事をして不運な結果を選択するように考えさせてくるのだ。
人間の情報処理能力で無意識の部分は9割くらいと言われている。
逆に言えば、9割は無意識の自分が選択をしているんだからこれを意識的な自分にとって都合の良い教育をすべきだよな。
そんななか・・・
AI分析でわかった トップ5%リーダーの習慣という書籍があるようなのだが・・・
その一部を抜粋すると・・・
これも興味深い。
AIが質問の回答をして統計を取った結果なのだよな・・・
それが・・・
結果を出す上位5%リーダーは、自らがもたらした結果のすべてが実力だとは思っていません。
「運がいい」と口にすることが、上位5%のリーダーは一般の管理職よりも4.3倍多かった。
そう管理職や仕事でも結果を出している人は自分が運がいいと思っているのだ。
いや決めたのかもしれない。
私同様、何が起きても超ラッキーと結論付けたのではないかと思うのだ。
結果論という人もいるかもしれないが、結果が一番正直なのだから結果論の統計は信用に足ると私は思うのだ。
AIの統計でも運がいいと思っている人間が、上位に来ると示している。
だとしたら・・・
何が起きてもラッキーのラッキーしか起きない人に自分を結論付けた方がいいんじゃないのだろうかと思うのだよな。
実際に緊急事態宣言も延長されて・・・
私にもラッキーしか起きていないし・・・・
物事はやらないよりなんでもやった方がいい。
結果ラッキーが起きる可能性が広がるのだと思うのだけれども・・・