さて、もう明日から仕事なので、今年は本当に年末年始感がない。
ただ、緊急事態宣言が発令されそうで・・・
個人的には補償が厚くなり、時間が手にできるようになる分ありがたい。
むしろ積極的に時短に協力したいと思えるような現状・・・
スタッフの方にはちょっと申し訳ないが・・・
時短になると営業時間が20時までになってしまうので・・・
19時~20時では営業しない方がマシになるんだよな・・・・
逆にオープン時間を早めることが可能か確認してみようかとは思うけれども・・・・
休む方が楽なんだけれども・・・・
楽な方を選択するとロクなことが無い・・・・
なので、緊急事態宣言が出たら営業時間を早めて20時閉店にしようかと思えてきているが・・・・
まあ情勢次第かな・・・・
あと補償と・・・
こう赤字の飲食店とかやっていると、学ぶことは多々ある。
例えばなんだけれども・・・・
副業の考え方とか投資の考え方もそうなんだけれども・・・
歌舞伎町や銀座は飲食店の閉店がとんでもない事になっていると聞く・・・
コロナ前はとんでもなく儲かっていた店舗も閉店してしまうのだ。
でもこれって、ダメージ耐性が少ない分、瞬間的な利益を上げられるという事・・・・
大きな投資で大きく儲けようとすると、失敗するときのダメージも大きいという話と同じで・・・・
少し儲かるものを多数持つという考え方が重要なんじゃないかと思ったのだ。
というのも、私の飲食店も私がサラリーマンでなければとっくに潰れているような現状・・・
そもそも半年間も赤字で平気な店はそうはない。
それ一本だったら、自分の飲食費もあるし、家賃などの他の生活固定費も捻出しなければならないのだ。
だから黒字でも全然生きていけない。
私の場合は並行しているのでなんとかやれているが・・・
それでもトントンでも修繕費の分が積み立てられずに実質ジリ貧なのに・・・
赤字だとスタッフの支払いできているだけで、貰った補助金を取り崩しながら営業している状態・・・
ただ、時間的なモラトリアムが手にできるので・・・
状況に応じてその間にどうにかしろという事なのだろうけれども・・・
けれども・・・
歌舞伎町や銀座の大きく黒字だった店が早々に閉店しているように・・・・
大きく儲けるスタイルの店舗は退出を求められるスピードも速いという事なんだよな・・・
人間の欲は大きくて、今すぐ最大限に儲けようとしてしまうけれども・・・
博打でもギャンブルでも投資でも一緒だが・・・
それをやると破滅が待っている。
サラリーマン大家さんという本が一時期はやったけれども・・・・
同様に、ちょっとずつ儲かる不動産を多数持てばいいんだよな・・・・
どれか一つ駄目になっても他が支えてくれるし・・・
一本で大きく儲けようとすると、それが駄目になった時致命傷になる・・・
だからこそ、駄目になった時でも他でどうにかなるように柱が複数必要なんだよな・・・
私の飲食店も3店舗あるが・・・
今はどれも赤字・・・
けれども、これがそれぞれちょっと黒字であればそれを維持できればいいのだよな・・・
ただ全部赤字だけれども、おかげで全部補助金が出る。
こう考えると、一本の大きく黒字のところは補助金も一本だけなので、結構苦しいと思うのだ。
分散投資というけれども、本質的な分散は利益の柱の分散としてリスクヘッジであって・・・
ただ投資の元本を守るためだけのリスクヘッジとは違うと思うのだ・・・・
まあなんにせよ、私のような駅から遠い店舗の場合・・・・
その分固定費が交渉などで結構安く抑えられる・・・・
なので普段は儲からないけれどもダメージ耐性は強いのだよな・・・
有事の時でも・・・・
生き残りやすい。
店舗なんてものは長くやっているのは武器にもなるし・・・・
ただ、状況が状況だからそのコロナの所為にしてしまう事は簡単なんだけれども・・・・
一番潰れにくい業態と呼ばれている絆ビジネスのスナックで一度も黒字になっていないって・・・・
ちょっとまずいよな・・・
まあ、前のスタッフの嫌がらせもあるので、客に来ないようにしているというのもあるけれども・・・
だからこそ、営業活動でそうじゃないとしなければならないんだよな・・・
と表題から大分ずれたが・・・・
前にも記載したけれども・・・
こういった問題だらけの現状においても・・・・
解決を一つずつしていかなければならない。
結構八方ふさがりのように見えても世の中抜け道やショートカットって存在すると思うんだよな。
それこそゲームのゼルダの伝説のように・・・
行き止まりなどで何かの秘密の隠し通路や仕掛けを攻略する事で・・・・
先に進める道が見つかる。
まんま、自分にも言えて・・・・
客が来ない店舗という現状で・・・・
店というのは基本的に主体的ではなく来てくれるのを待つ受動的なスタイル・・・・
だからこそ・・・・
開かないドアをじっと見ているのも辛いものがあるのだけれども・・・
応援したいと思ってもらう何かや営業活動をしなければならない・・・
まんまゼルダの伝説のダンジョンで・・・
最奥の部屋で道が見つからず行き詰っている状況と同じ・・・・
仕掛けを見破って秘密の隠し通路を見つければ・・・・
この閉塞的な状況を突破できる。
どんなに追い詰められていたとしても・・・・
抜け道探しを諦めなければ・・・・
必ず先に進む隠し通路はあると思うのだよな。
大事なのは、抜け道探しをしているという主張とそれを止めない事なんじゃないかと・・・・
普通の人でもそうじゃなくても、大体皆問題を抱えていて、大体苦しい・・・
でも考えようによってはそれは当然受け止め方なのであって、ツイている理由があり、何かのメッセージであると考える事が重要なんじゃないかと思うのだ。
ちょっと前に・・・
ヤフーニュースでこんな記事を見つけた。
その中の特に印象になった言葉が下記の言葉・・・・
「幼稚園は、先生が生徒たちに質問でコミュニケーションをとるという方針のインターナショナルスクールに通っていたので、「考える」ことが生活の日常でした。
ところが、地元の小学校に上がると、「教科書に書いてあるものが答えです」「先生が言っていることが答えだよ」と、答えを与えられるようになって、そのギャップに違和感を覚えたのです。」
そう、我々は考えない教育を刷り込まれていて・・・・
それこそ両親もそういう教育を受けているので、接しているうちにそういう考え方を刷り込まれてステルスエデュケーションにより・・・・
自分も考えなかったり、答えを与えられるものと無意識で考えているようになっているんじゃないかと思うのだ。
だからこそ、自分で考えて選択しているようで、選択させられているのではないかとか・・・
そう選ぶように、そう考えるように無意識で仕込まれていて、本当に自分の意思でそれは選択しているのかと疑問を感じる事もあるのだ。
特にギャンブルにおける選択の場合だけれども。
何しろ結果に負を突き付けられている時は吸い込まれるように駄目な方、駄目な方を選択してしまう。
百発百中で負は的中してしまうので、確率を超越した望まぬ確率の偏りは自分で選んでいるようで選ばされている感覚になってしまうんだよな。
ただそれも・・・・
主導権を自分で取り戻すというか・・・・
選ばされるのではなく、選択する側に戻るために・・・・
考え方が重要になってくるのではないかと思うのだ。
それこそゼルダの伝説で抜け道探しをする、ツイている理由探しをしていること、ツイていると考えるべきだと知る事・・・・
そういった常に考えるという事で、他の人が引き返すような道で抜け道や隠しルートを見つけられるようになるのではないだろうか。
ただ、考えてみれば確かに宇宙一ツイていることを思い出し、無理矢理ツイている理由を書き出していくと・・・・
ツイていることが続いている。
結果的に刹那の場面、瞬間的にはそうじゃなかった時もその後にツイていたなと思える事があるし・・・
このためにさっきの望まぬ結果が起きたのかもしれないと考えられるようになるしな。
そして望まぬ結果はなかった事にして忘れ、実質はツイていた事だけを書き連ねどんどん自分の幸運を上積みしていくのが良いのではないだろうか。
緊急事態宣言、これででれば私的にはよりラッキーになるしな。
補償が出る分まだ赤字店では延命ができる。
出血が止まらない状況下で輸血パックが届くような物。
これはラッキーと言える。
そして補助金の強さを実体験し、国の力を知り、国にようやく感謝ができるようになったこともラッキーだよね。
これも何もしないと絶対に分からない。
さて、明後日の競馬・・・・
宇宙一ツイている事を思い出した私にどういった結果になるか・・・
まあまるで買わない可能性も十分あるのだけれども・・・・
レースの条件を見ているとあまりいいレースがなさそうなんだよな・・・
平日というのも良くない条件だし・・・
宇宙一ツイている状況下になるのだから・・・
自分の選択は結果的にツイているために必要な何かであり、たとえ間違えても間違えた事によりよりツイている何かがある。
だからこそ、ルールと感性に殉じたい。
よくよく考えれば・・・・・
違うよなあと思いながらいい思いをした記憶がないし・・・
やっちまったと思っても・・・
それをツイている理由の何かに変換できないから、選ばされてしまう。
既に現時点から明後日の競馬は回避した方が良いような気がしているんだよな・・・
まあ、後輩の予想を見てからになるけれども・・・・
出馬表とオッズと条件を見て・・・
そして勝負をする前に一度立ち止まって宇宙一ツイている自分はどう感じるのかを考えて、頭ではなく感性を重視しようかなと思うのだ。
今年は不確定だけれどもルールと感性のダブルを重視しようかと思う。
多分なんだけれども・・・
ツイている以上感性は間違えないと思うんだよな・・・
たとえ間違えたとしても、それが一時的な物であるんじゃないか。
自分の感性に対する自信があれば、選択の主導権を取り戻せる気がする。
結局、ヒキや幸運やポジティブシンキングなんてものは無理矢理そう考えて、そうなるようにしていくものなんじゃないだろうか。
昨日、友人夫婦と会って思ったのだけれども・・・
結婚して2年・・・
仲良くていいなと思ったんだけれども・・・
時間の経過と共により家族になっていくように見えた。
元は他人である家族って多分いきなりなるんじゃなくて、徐々にそうなっていくものとより思わされたのだ。
とうことは、同様にツイている人間もそうなっていくものなんじゃないかと改めて思わされた。
まあ、年末年始はギャンブルネタもないので・・・・
似たような記事になってしまうが・・・
今日は店の棚卸かな・・・・
在庫を確認し、仕入れを実施しなければならない・・・・
出ていくばかりだと辛い感情にはなるけれども・・・
なんとなく緊急事態宣言が出ていい方に転がってくれるか・・・
出なくとも飲食店向けに手厚い補助が出てくれるんじゃないかと思っている。