またもやある日突然普通の崩壊を目の当たりにした

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ギャンブルではないのだけれども・・・

普通に生きている事自体もギャンブルのようなものだよなと思わされる。

良くしてくれていた取引先がいたのだが・・・・

この方がある日突然家を失う事になりえらい事になっている。

前の会社の最初の上司もそうだけれども・・・・

日常なんてものはちょっとしたことがきっかけで普通の生活が崩壊し、二度と戻ってこれなくなるようなそんなことがあり、その人に支えられていた人たち連座してあおりを受ける。

本当にただ会社員をやっているだけで普通の生活が保全できるなんて考えない方がいいよな・・・

あんなに小奇麗で清潔感あった人がいきなりだもんな・・・

しかもそれも大したことないちょっとしたことが原因で大家と揉めるとかで争いごとになり、そのまま故あっての退去・・・

まだ転居先も見つかっていない。

恐ろしいよな・・・

ほんの数時間前まで担保されていた当たり前の日常が僅かな間に損なわれる。

これはまんま私にも言えて、やはり会社員でいるうちは余程いい会社じゃない限り・・・

蜘蛛の糸の上を歩いているようなもので、生きていく何かしらの担保や保全がないと急に窮することになる。

安定した経済力もそうだけれども、インカムを産む何かを複数持っていないと生きてはいけない。

20代のうちはいくらでも需要があり、多少綱から落ちても神風が吹いて舞い戻る事ができるかもしれないが・・・

40代ともなると、もうカイジで言うリアル鉄骨渡りになっている。

落ちたら助からない。

コロナの影響もあるが、自分の身近な人々がその当事者になっている姿を見ると他人事とは思えないのだ。

だからこそ何かに常にトライし続けないとならないと思うのだ。

私も今年厄年でここのところ毎年試練の連続・・・・

転職、父の他界、コロナによる店舗営業

これでもかというくらい問題に袋叩きにされているが・・・・

それなりにこなしてきたはずでもまだまだ無尽蔵のように問題が襲い掛かってくる。

普通に生きるって難しいよな・・・

その普通に生きる難易度の高さから目をそらしながら皆生きているのかもしれないが・・・

今日の普通は明日も担保された物じゃない。

どれだけ優秀で仕事ができたとしても、それを知っているのは今いる会社であって、他は知らないのだ。

となると年齢を重ねるごとに、自分を知っているネットワークでしか安全は担保されないのだ。

今いるときからいつ損なわれるかもしれない当たり前の日常を保全するために意識して仕事すべきなんだよな。

結局、仕事をちゃんとしていないと窮地の時に助かる術や蜘蛛の糸が垂れてこない。

絶対につぶれない会社でしがみつく気が満々ならほどほどの仕事でいいかもしれないが・・・

他社に認めさせるレベルの仕事をしていないと、日常崩壊の危機の時に地面の陥没と共に地底へと飲み込まれることになる。

失って初めて気づくものの価値というのは失わないと勘違いしがちだ。

私も今、ダブルワークがきつくて仕方がないが・・・

しかもコロナ禍で最も深刻な飲食業・・・・

辞めるのはいつでもできるが60歳になった時に、年金だけでは生きてはいけない。

なんとしてでも生き残らせ、未来の自分の保険をかけねばらならない。

普通に生きる事を舐めちゃいけないよな・・・

絶対的なセーフティーなどほぼ存在しないのだから・・・・

そして重要なのは人に会う事だよな・・・・

本当にそう思わされる。

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