ただし、本当に社会的生命をかけての物になるけれども・・・・
3歳の頃、両親に連れられてパチンコを打つようになってから・・・・
ずっとギャンブル漬けの生き方をしている。
もはや日常的な感覚になっており、一般的にはギャンブル依存に当たるんだろうなと思っているが・・・・
結局、投機性のあることをしないと人間の限界突破というか水飲み百姓から抜け出せないのだよな。
自由のある奴隷というか、自由だけれども時間的拘束があるということは本質的に見れば雇用される側はただの奴隷になる。
だからこそそれを抜け出すためには自分の持ち物に労働させるという発想が必要で、そのひとつとしてテラ銭取られているにも関わらず・・・・
ギャンブルが手ごろになってしまうんだよな。
そういったハードルをすべて超えても難解なギャンブルだけれども・・・・
厳しい現実を突きつけてくれる分、学びが大きい・・・
結果を起点に考える考え方も・・・・
セルフマネジメントも忍耐も、思い通りにいかない事を受け入れる覚悟や心持も・・・
すべてギャンブルに学ばせてもらったと思っている。
色々見てきたが、ギャンブルで勝っている人は節度が凄く社会的にもステイタスをそれなりに持っている。
逆に言えば、ギャンブルで勝てるようになれば自然とまともな人になれると言い切れると思うのだ。
ただ茨の道で正解の手順を踏んでも結果が正解とはならない可能性が高いから、正しい真実の道を見つけるのが物凄く難しくなる。
結局、とことんギャンブルで勝つためには期待値を稼ぐ事しかない。
パチンコでも言われているし、株でも麻雀でもそうなんだけれども、一つの答えは期待値を稼ぐ事と、負ける勝負を避ける事なのだ。
競馬の難しさは期待値が見えないところだ。
そう考えるとパチンコやスロットは勝ちやすい。
確率が分かっており、期待値が明確に見えるからだ。
しかも還元率も競馬よりも良いとされている。
天井を狙う事もできるし、競馬に比べればパチンコやスロットで勝つハードルは大分低い・・・
けれども、最近ではそんな見える期待値で期待値が高い台など落ちてはいないんので存在していないともいえるかもしれないが・・・
競馬は期待値がまず馬の能力が見えづらい。
後輩のラップ理論のように心肺機能を数値化して物差しにするバテなさの能力は分かるかもしれないが・・・
馬場状態だったり、うちが有利、外が有利とか展開、コース取り、不利や出遅れ等・・・・
不確定要素が大きすぎて期待値の算出が難しい・・・
けれども、後輩の過去10年を精査する限りは後輩の予想でルール通りに購入すれば期待値が結果的に稼げているのが分かる。
これも結果的に何をすれば期待値が稼げているのが分かったのであって、競馬における期待値の稼ぎ方を最初から分かっていたわけではない。
そう期待値の稼ぎ方も結果から遡及する事で理解することもできるのだ。
インターネットでギャンブルの勝ち方と検索すると薄っぺらい表面的な内容しか書いていないサイトが多い。
それも広告目当てなんだろうけれども・・・
生きたギャンブルの勝ち方を考えると・・・・
他サイト同様に、期待値を稼ぐ事というぼんやりとした曖昧な回答になるが、これが真実だと思うのだ。
もう一歩踏み込むと期待値が低い行為を避けるというのも重要だ。
何気にバフェット氏のルールと同じだ。
ルール1 絶対損をするな
ルール2 ルール1を決して忘れるな
実はこれってルール2の方が重要なのではないかと思うのだ。
ギャンブルの勝ち方で言うと・・・
ギャンブルの勝ち方其1 期待値を稼げ
ギャンブルの勝ち方其2 期待値が低い行為を徹底的に避けろ
何気にこれも期待値が低い行為を避ける方が重要だと私は思っている。
そして期待値ってのは五里霧中のような白い霧に覆われているようにどれが期待値が高いか分からない場合・・・
やはり結果の統計が必要なんだろうな。
それで一つずつ検証していき、どの結果の要素が期待値の高い要素かをかき集めるしかないのだ。
膨大な時間と労力と無駄かもしれない行為の積み重ねの先にようやく答えがある。
むしろ無駄の方が多い。
エジソンの言う失敗ではなく、学習だという。
でも無駄な要素も逆に言えば期待値の低い行為の発見ともいえる。
結局、霧で前の見えない山道を登る覚悟を持った者しかギャンブルは勝てないんじゃないだろうか。
そんなことを思わされる。