名馬が亡くなるのも続くものだなと思えてしまう。
今年スペシャルウィークがこの世を去ったけれども、そのわずか後にテイエムオペラオーも亡くなった。
テイエムオペラオーと言えば1999年の皐月賞馬で当時新人に近かった和田騎手が初G1を獲った馬だった。
そして調教師の岩元調教師も初G1勝利。
ダービーの敗戦を考えたら今だったらすぐに乗り替わっていただろうなと思えてしまうが、最初から最後まで和田騎手を乗せたのは最後の競馬の義理人情の時代だったのかと思えてしまう。
ライバルの同期渡辺騎手が皐月賞で2番人気のナリタトップロードに騎乗していたが、この騎乗馬の違いがのちの和田騎手と渡辺元騎手(現調教師)の騎手人生を大きく分けたなと思ってしまう。
運と言うのはやはり重要な要素としてあるなと思えてしまう。
ただ、ライバルのナリタトップロードにテイエムオペラオーは菊花賞で負けてしまったので、渡辺騎手にとっては一矢報いたとは思えるけれども。
3歳時はそのまま勝ち切れないレースが続いていたが・・・・
私が大学2年の時の有馬記念で、グラスワンダーとテイエムオペラオーのワイド1点でいい思いをさせてもらったのを覚えている。
そして、4歳になってからはテイエムオペラオーは違った。
2000年京都記念を皮切りに重賞八戦八勝・・・
無敗でその年を過ごした。
相手がメイショウドトウとナリタトップロードくらいしかいなかったので相手に恵まれたと言う話もあるが、それでもオルフェーブルやドリームジャーニーの父ステイゴールドもいたし純粋に強かったと思われる。
中でも2000年の有馬記念は異常なまでに強かった。
1コーナーで躓いたのか、騎手が一度顔を上げて下がっていたし・・・
直前では馬群に包まれてまともに追えず、普通の馬なら掲示板の外になっているところ・・・
テイエムぺラオー自身が進路を見つけ、無理やりこじ開けて勝利・・・・
嘘だろうと思えるような勝ち方だった。
5歳になってからのテイエムオペラオーは蓄積疲労と言うか消耗している部分と運を使ってしまったのか、勝ち切れなくなってきたが、それでも天皇賞春を連覇した。
ただ、この馬以上に強いと思わされたのは天皇賞春よりも負けた宝塚記念だった。
2001年のテイエムオペラオー5歳時の宝塚記念・・・
4コーナーで前の馬に乗りあげそうになるような大きな不利を受けながら・・・・
猛然と追い込んで2着・・・・
嘘だろうと思える強さだった・・・・
G17勝もした割にはテイエムオペラオーはあまり人気がなかったけれども・・・・
間違いなく強い馬だと思うのだ。
もし、そうじゃなかったら結果的にG17勝もすることはできない。
あれほど異常に強かったブエナビスタですらG15勝。
オグリキャップでもG14勝だし、ナリタブライアンもG15勝・・・・
オルフェーヴルでもG16勝・・・・
そう結果から考えるといかに強かったかが分かる。
2000年の宝塚記念からG1でメイショウドトウとの馬連1点勝負を転がし続ければ2001年の宝塚記念まででなんと18845倍になっていたのは有名な話。
だが、次の天皇賞秋で私が本命に推したアグネスデジタルに差されてこの記録はここで止まるのだけれども・・・・
結果的にはアグネスデジタルもG16勝しているしな・・・・
オペラハウス産駒はたまにこういったモンスター馬を輩出するよなあ・・・・
メイショウサムソンなんかもそうだけれども・・・
よくよく考えればライバルだったメイショウの冠をもつメイショウドトウが負け続けた相手の父がオペラハウス。
その後、オペラハウス産駒でメイショウサムソンが活躍したのは何かしらの因縁めいたものを感じる。
学生時代の名馬が亡くなると何か思い出を失ったような喪失感に襲われる・・・・
強い馬だった・・・
そういえば丁度高校生の時あたりにシンザンが36歳で亡くなった事が新聞に載っていたなあ・・・・
ディープインパクトの訃報もいつか届くんだろうな・・・・
さて、先ほどNスポを更新した。
今年のオークスはどう考えても堅い・・・
なので諦めラッキーライラックの予定だ・・・