結果の決定

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さて、先日電車移動中にずっと考えていたのだが・・・・

といっても悪い意味ではない。 先日物凄く優秀なクレーム処理対応をされている方と話をしてきた。 すると去年のクレーム発生件数が60...

この記事の事を思い出していた。

色々考えていくと、この記事に書いたことはもう少し深堀してもいいんじゃないかと思えてきたのだ。

何度も記載しているように私は物事を結果を起点に考えている。

結果が望む物であれば、どれだけ荒唐無稽な過程でも考え方でも正しいと思っているし・・・

結果が望む物でなければどれだけ正論を言っても間違っていると思っている。

幸いにして私は営業としてももう20年近くやっていることができているが、重要なのは人の見極めで・・・

人を見極めるのに大事なのはその人の出している結果、実績と行動だけ。

何を言ったかではなく、何をしたか。

その行動の意図を考えればその人がどういう人かが分かる。

人間は言葉には嘘があるが、行動には嘘がない。

そして意図のない事はしないようになっている。

でタイトルの話になるのだけれども・・・

結果というものは一体誰が決めているのかという話になる。

事実というのはその個人の主観的な認識であるとも思っている。

だから結果も事実も決められると。

ただし、これは閉じられた世界というか、自己完結できる狭い範囲の話であって・・・

受け止め方をポジティブに変えるだけで、視点を自分からずらしたら結果は異なるのだよな。

視点によって結果は変わるわけだ。

ただ、視点というのは誰の物かと言えば、人間の物だ。

ちょっと広義な意味になりすぎて理解しずらいと思うんだけれども・・・・

言い換えれば結果は人間が決めている。

そう事実と結果は自分という狭い範囲で言えば自分で決められるが・・・・

視点を変えようが、認識を変えようが、見方を変えようが・・・・

結果は人、人間が決めているんだよな。

この結果は人が決めるという当たり前のような事でも、よく考えるとこれはかなり意味深だと思うのだ。

リンクを貼った記事でも記載したが、このクレームを奇跡的に削減した方・・・・

考えてみて欲しい。

自分がクレームを6割カットしろと言われたらどうするだろうか?

私はまずはヒアリングと製造工程、管理とか考えてしまうが、もうこの時点で考え方が結果を出せない考え方になっている。

それは最後の数%をあげるための一押しであって、最初にする事じゃない。

クレームはクレームをつける側の認識と、クレームの受け手側のクレームを受けたという認識が共有されて、公表されて成立する。

なので、クレームを言う側がクレームを言わなければクレームにならない。

またクレームを受ける側もそのクレームを事実に確定させるような報告をする前に止まればこれまたクレームにならない。

どう考えてもこのクレームになるかならないかという結果はそれを決める人間が決めている。

所謂キーマンだ。

営業の立場でキーマンと考えると、当たり前だけれども決済権者、購入を決める人の事をさすが・・・・

よく考えると、すべてにおいてキーマンは存在するのだ。

品質管理という観点で考えれば、それをクレームに決める人がいる。

だとすれば、何事においてもキーマンが自分の都合よいように決めてくれれば自分の閉ざされた世界ではなく、相手からも客観的からも共有される共通の望む結果が出るという事。

結果は人が決める。

こんな当たり前のことだけれども意識しているかしていないかで行動や考え方が大分変るんじゃないだろうか。

自分が求める結果は一体誰が決めているのか。

例えば会社員で言えば昇給を決めるのは一体誰なのか?

直属の上司なのか、その上なのか

それを考え、結果を決める人間を把握すれば自ずと行動が変わってくると思うんだよな。

で、物は何も変わっていなかったとしても、クレームを決める人がクレームではないと決めれば何もしなくても結果は変わる

だからヒアリングというか、結果を決める人に自分が望む結果に変えてもらう方法をするのがすべてにおいて最善なのだ。

この時に、人が結果を変えてくれるとしたらどういう時か?

視点を相手にずらして考える必要がある。

結果を決める人も多くはサラリーマンだったりする。

もちろん経営者かもしれない。

基本的に人間は自己都合でしか生きておらず、間違っている人ほど一次元の視点というか・・・

目の前の自分の目先の損か得かという自分の足元しか見ていない。

こういういわゆるテイカーであると、果たして自分の望む結果を決める人が自分に都合の良い結果に変えてくれるだろうか?

答えは1万パーセント否で・・・

よほどの美人の色仕掛けとか相手にメリットがある状態でないと結果は彼らは自分のポジションを守るために変えてくれない。

だとしたら、自分の望む結果に変えてもらうために相手の立場、ポジションで、自分の望む結果を提供する事でこういったメリットや相手の都合に沿った提案をすることでWIN-WINになる可能性があり、そうなれば結果を捻じ曲げてくれることも可能になる。

WIN-WINであれば結果は何もしなくても変えられるのだよな。

そのためにはヒアリングで相手のポジション、相手の立場は誰にどんな結果を決めてもらわなければならないか。

その把握が重要なんだよな。

当たり前かもしれないけれども・・・

スポーツのような明確な結果の決定と、社会における結果の決定が別物であるという認識をちゃんと持っている人ってどれくらいいるんだろうな。

そして結果が人が決めているので結果を人に変えてもらおうとすること。

この品質向上の方は自分で決めた事が結果になることを決めるポジションにいるときに人が結果を決めていることに気づいたらしい。

これを翻って、他人の立場でも同じように結果を決めている人が存在していると思う事は普通に人にできるだろうか・・・・

当たり前なんだけれども、競馬のように明確な結果が出る物をメインに見ていると、違いに気づかなくなりがちだ。

シュレティンガーの猫じゃないけれども・・・・

観測することによって結果になる。

ただ、これは第4の目というか衆目や大衆による同時観測・・・

大多数の人間による同時の観測、結果の決定の認識と・・・・

個別の自分、相手、客観的な個の目と視点による認識と結果の決定では意味が変わるのではないだろうか。

小学校の国語の教科書で絵本のスイミーの話があったと思う。

スイミーは黒い魚で仲間は赤い魚・・・

ただ小魚だったため、スイミー以外の仲間はマグロにすべて食べられてしまう。

ところが新たに仲間を見つけたスイミーは自分が黒い魚なので目の役割をして小さな赤い魚の仲間と大軍を作り、大きな魚の形をしてマグロを追い払うという話だったと思うが・・・・

これってこの大衆の視点と同じ話じゃないかと今ふと思った。

というのも、小魚の視点とマグロの視点、でも小魚が寄り添う事で別の生物となっているかのようになる。

大衆の視点もスイミーの大きな魚と同じで別物と考えられるのではないか。

そうすると観測をする視点というのはかなり数が多く・・・

自分から見える視点、相手から見える視点、客観的なミスターなんちゃらを仮定した視点、そして大多数で同時認識する視点

これによって結果の決まり方も変わってくる。

であれば、かん口令のように情報を抑えて知られなければまだ結果はいつでも変える事ができる状態なので・・・

秘密主義になるのだろうな。

そう考えると、視点が少なければ少ないほど結果は変わりやすく変えやすい。

何故なら決定権がまだその小さなコミュニティにあるから。

結果は人間が決める・・・

もう少し、意識すべきだなと再度思わされたのだ。

さて、自分の飲食店において考えた場合・・・

支持する結果か否かは客が決める。

その客を束ねるような客の長みたいな人が結果を変える人になるのだろうかな・・・

飲食店においては・・・・

となると、キーマン探しだが・・・・

人を集めることができる近所の人が私にとって都合の良い結果を決めてくれる人なのかもしれない。

だとしたらそういった人をどう探すかだな・・・・