テスコガビー独走か!テスコガビー独走か!
ぐんぐんぐんぐん差は開く、差は開く!
後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ない!!
ジョーケンプトンがようやく二番手に上がってきたか!
先頭はテスコガビー!これは強い強い強い!これは強い、これは強い!
赤の帽子ただひとつ、ぐんぐんぐんぐんゴールに向かう!ゴールに向かう!
テスコガビー大楽勝!! 杉本清
1975年の桜花賞の実況
杉本清氏は奈良県出身の元関西テレビアナウンサー。現在は芸能事務所アライバル所属のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。関西放送記者クラブ会友。関西競馬実況中継の神様と謳われている。
以前にとんねるずのハンマープライスという番組でもオークションの実況をやっていた。
とんえんるずが元々競馬好きだったというのもあるだろう。
テスコガビーは、いまだに日本競馬史上の最強牝馬にも名を挙げられる一頭だ。
新馬戦の7馬身差、オークスの8馬身差、そしてこの桜花賞の大差勝ち・・・・勝ちっぷりの派手さからファンも多かったことだろう。
馬格があるという意味ではウオッカにも通じるものがあると思うが・・・・
昨年の桜花賞では、後に牝馬クラシック三冠馬となりジャパンカップも制したアーモンドアイが豪快に大外から差し切ったが、アーモンドアイが現れるまでは牝馬最強でテスコガビーを推す者もいただろうと思う・・・・
ところで、競馬界ではスタートをしっかり決め、道中の折り合いも良く、そして最後もきっちり伸びる馬のことを「テンよし、中よし、終いよし」と言う。
その表現は、主戦騎手の菅原泰夫がテスコガビーを評したのが最初だそうだ。
残念ながら、晩年は故障に泣かされ、復帰へ向けての調教中に心臓麻痺で亡くなってしまったとのことだ。大変悔やまれる。
圧倒的なスピード能力を持った馬だったので、繁殖牝馬としても活躍が期待されていたことだろう。
競馬にタラレバは不要だが、もしテスコガビーが仔を残していたらいまの競馬界にどんな影響があっただろうかと、たまに思うことがある・・・・
余談だが、主戦騎手の菅原泰夫はこの年最強のダービー馬と呼ばれることもあるカブラヤオーの主戦騎手でもあり、春の牡馬牝馬の2冠を制した。
その時は牡馬牝馬同年同騎手3冠を騒がれたものだ。
カブラヤオーが最強と呼ばれる理由は長く競馬をやっていると分る。
1975年5月25日の第42回ダービーはフルゲート28頭
最近は見かけないが・・・・
結果は度外視で、放送で一度でも名前を叫ばれたいというのが多くの馬主の気持ちがあった。
出走馬で勝ち目が薄い馬はは勝負関係なしでハナに立って名前を呼ばれようとしたのである。
いわゆるテレビ馬と呼ばれた存在。
最近はみなシビアなのでラビットでもないテレビ馬を見かけることはないけれども・・・
このダービーではトップジローがテレビ馬だっただった。
テンの3ハロン34秒5で飛ばす。
だが、カブラヤオーに迷いはなく、それを競り潰して先頭に立ちそのまま逃げた。
そして最初の1000m通過タイムは58秒6・・・・
これは現在のダービーでもこのペースで飛ばしたら間違いなく逃げ切れないし差し馬決着になる。
しかも現在と違い当時の芝は馬場が荒れており。タイムが出にくい馬場・・・・
その勝利タイムは2分28秒フラット・・・・
アーモンドアイのJCから7秒近く差がある・・・・
けれども、当時と今の馬場状態の違いなので、タイム以上に強い内容
尋常ではないハイペースで逃げて、逃げ切るので狂気の逃げ馬とも呼ばれ、もともと他の馬を異常なまでに怖がるから逃げるしかなかったと言われている。
とテスコガビーの名実況から大分脱線した・・・・