をアマゾンで購入した。
作者は2CHのひろゆき氏だが・・・・
これが意外に面白い。
概念というか、なかなか新しいなと思わされたのだ。
面白いと思ったエピソードがいくつかあるが・・・
まずは可変部分のみを変えるという話だろうか・・・
ヤフーニュースの延長でダイヤモンドオンラインのリンク先にいくつかの記事の内容が書いてあり・・・
それを見ていて面白いと思ったのが購入の動機なのだけれども・・・
エジソンの言葉の解釈もなるほどと思えていて・・・
「99%の努力と1%のひらめき」というのは、発明家エジソンの有名な言葉だ。これの真意をみんな誤解している。本当は、「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダになる」ということだ。しかし、「努力すれば道が開ける」という表現で広まっている。
ひらめきもないまま、ムダな努力を積み重ねていっても意味がない。耳障りのいい言葉だけが広まるのは、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない。
なるほどなと思いながらも・・・・
食べ物の可食部でも言い変えられると思うが・・・
可変部はどこかという当たり前の話でも、よくよく考えると自分の生活における可変部を理解しているだろうか?
自分は何を変えられるか?
多分、会社も他人も変える事はできないし、今から美術を学んでも傑作などかける努力は非効率的なのでこれは可変部に当たらない。
そうなると自分が簡単に変える事ができ事は考え方や受け止め方、選択だと思うのだよな。
変えられる事を変えようという発想は当たり前なんだけれどもよくよく考えるとちゃんと理解している人少ないんじゃないかなと思ったのだ、私も含めてだけれども・・・
人は可変部ではない部分を変えようとして勝手にストレスを抱えている気がするのだよな。
この1%の努力でも記載されていたが・・・
私も思うんだけれども・・・
ストレスが最もよくない。
私の大学生時代の親友の友人の父親も・・・
物凄いいい人だったのに、一軒家を購入したことによって生活環境が望まぬ悪化した結果すぐに癌になって亡くなってしまった・・・
そして書籍にも記載してあるし、BARに行く者としても分かるんだけれども・・
ストレスの逃がし方が上手い人って皆若くて、逆にストレスを抱えている人って老けているよなと思わされる。
BARに1人で来るような大人は皆若く見える。
確かに、私はラッキーしか自分に起きないと決めていて、ノンストレスで生きている。
ようやく年齢が見た目を上回ってくれたと言われることが多くなってきたが・・・
多分、そういう事なんじゃないかと思うんだよな。
ストレスが一番の大敵・・・
だとすれば、ストレスを軽減する考え方をするべきであって・・・・
変えられるのはストレスの原因を根絶する事ではなくて、ストレスの事象をストレスではないと認識する方だ。
でストレスの要因についても記載されていたけれども・・・・
エッグスタンドという考え方が面白い。
これは斬新だなと思うのだけれども・・・
私にはあまりない感覚なんだけれども、妬みというのがないんだよな。
多分、理屈でそれは筋が違うと認識しているからだと思うんだけれども・・・
世の中にはエッグスタンドという卵を置くためだけの食器が存在しているらしい。
でも、パッと聞いた瞬間・・・・
それいるだろうか?
って私は思ったのだ。
案の定、ひろゆき氏もそれっていらないよねと思ったらしいが・・・
百貨店では普通に売っているらしい・・・
ストレスの要因の一つが比較にあり、それが自分より上だと思う存在に対する物が世間的には多いようなのだ。
でもさ、自分より富裕層がエッグスタンドが食卓にあるって聞いて、それ羨ましいだろうか?
代用は小皿でいくらでも効くし・・・・・
一般的に羨ましい差というのもエッグスタンドと何の違いがあるだろうか?
工夫すれば自分でも同じことできないだろうか?
他人の何が羨ましいだろうか・・・・
それを工夫や代替えでやる方法は?
そういう思考や受け止め方が重要であって、物事がエッグスタンドかどうかで判断するというのは私には斬新だったのだ。
つまり、比較対象が自分より上だと思ったらエッグスタンドコレクターだと思えばいいだけで・・・
下なら自分は恵まれている。
どっちに転んでも、自分は悪い状態ではない。
何が起きても超ラッキー思考と似ていないだろうか。
考え方や受け止め方は変えられるんだよな・・・
改めてそれを指摘されたようで面白かった。
そして・・・
全部は書く気はないんだけれども・・・
壺の話が面白い。
ネット上で有名な「この壺は満杯か?」の話があるらしいが、私は知らなかった。
原文を引用させてもらうと・・・・
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺 を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ 岩 を詰めた。
壺がいっぱいになるまで 岩 を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの 砂利 を取り出した。
砂利 を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を 砂利 で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から 砂 の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺は満杯か?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと 水 を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とない ということなんだ」
君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。
それは、仕事 であったり、志であったり、愛する人 であったり、家庭 であったり、自分の夢 であったり
ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。
もし君たちが 小さな砂利 や 砂 、 水 など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして 大きな岩 、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう
この例はなかなか面白く・・・
最優先は何かだ?
そして、水や砂や砂利は後からでも入るので修復できる・・・
言い換えれば遡及できるんだよな。
遡及できることは今やるべきではない。
今は今しかできない事をやるべきだ。
織田信長の死のうは一定も同じで・・・
死ぬことはどうやっても決まっているんだから・・・
そうなったときに納得するためにまず何をするか。
サラリーマンをやっていることは壺に水をそそぐ行為かもしれない。
何度も私のブログに登場しているモンスター営業だが・・・
彼は、出会った3年前・・・・
31歳くらいで、営業ができるだけの子供二人いて、3人目の妊娠が発覚したばかりの人だった・・・・
その人物が今年の4月、嫁と子供が3人いるのに・・・・
毎週格闘の運動をし、トイレ掃除をし、英会話の勉強をし、BNIに参加し、起業して既に食えるようになっている。
家族がいるからとか言い訳にならないんだよな。
彼は多分、最初に壺に岩を入れているんだろう。
でも、私はどうか?
多分、水を入れている。
順番が違う。
仕事もそうだけれども重要なのは優先順位・・・・
仕事ですら優先順位が重要なのに・・・
我々は人生における優先順位をあまりにも軽視してはいないだろうか?
そして、それはまんま何かを失っている事になる。
そう考えるとだ・・・・
一番の優先順位はどう生きたいかでそのゴールを決めて逆算なんだが・・・・
そこまではできているんだけれども、答えが足りていないのは情報不足だよな、多分・・・・
でもってできることをやるという考え方と、自分が必要な物をやるという考え方・・・・
これはヒントになるんじゃないかと思うのだ。
私に必要な物は何か?
何がないと困るか?
多分、酒場とギャンブルだ。
けれどもそれでできる事は何か?
好きな事とできる事がミスマッチを起こしているんだよな・・・
ということはだ・・・
私に必要な物を抽出しつつ・・・
その中でできる事を見つけ出す組み合わせを探せばいいわけだ。
できるのは営業とマッチングと分析と段取り・・・
これと私の必要だと思う物を書き出してマッチングさせればいいんじゃないだろうか・・・・
ジンビーム飲みすぎて頭が回らなくなってきたので・・・・
今日はこの辺で・・・
けれどもおススメの書籍だ。
1%の努力
興味があれば今すぐナウkindleで買ってみて欲しい。
やはり知識や概念は更新されるんだなと再認識された。
私が狂ったように読書していた時代にはない概念も増えてきているなと・・・
世界は時間の加速と共にアップデートされているんだよな・・・