競馬を、偶然だけが支配する類いの賭博と同一視するような人は、競馬場に来る資格はない 菊池寛

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競馬を、偶然だけが支配する類いの賭博と同一視するような人は、競馬場に来る資格はない 菊池寛

競馬好きの作家。

確か別の有名な競馬に関する言葉で、人に聞いて獲った馬券よりも自分で考えて取った低いオッズの方が有益だと言ったコメントがあったと思われる。

「何となく勝ちそうだ」というだけで馬券を買っても当たるのが競馬ではある。

しかしそのまぐれ当たりを推理の結果と混同してしまった時から、競馬の合理性を忘れてしまいがちになることは戒めなければならない。

つまり、競馬がサイコロ賭博などとまったく違うことは、それがある種の必然によって生じる結果のみによって成り立っている点である。

これを理解しないかぎり競馬の本当の面白さはわからないし、だからこそ競馬というゲームでは競馬以外では味わえない「喜びを伴ったお金」が得られるわけ。

たとえどんな実力馬が簡単に着外に消えても、そこには「レースが合理的に勝敗を決せられるものであり、その合理性を発見することに競馬独特の無限の興味が潜んでいるわけと菊池寛は述べている。

なんとなくだが、時代が違うなあという印象を受ける。

こう言う考え方もありだろうし、今でもこちら寄りの方がいるのは否定しない。

ただ、現在のインターネットの拠る誰もが公開された情報を得られるような時代だと・・・

当時のなんでもかんでも自分でという風潮とは違う気がするのだ。

個ではなくチームであたるべし。

自分よりそれが得意な人間に任せておくというのは一つの手だと思うんだが・・・

そうか・・・

予想は後輩に任せて・・・

買い方を誰かに任せる事ができれば・・・

チームとしての勝ちなんだよな・・・・

まあ、有名な先生の言葉なのでピックアップしておいた。

ただ・・・・

逆に返せば偶然に支配されているという人が競馬場に来ないと勝てる人が存在しなくなる・・・・

競馬に対する思い入れのある言葉だが・・・・・

賛成はできないな・・・

むしろそういう人にたくさん来て欲しい・・・・

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