本能寺の変の真実か・・・・

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今日もまだ出馬表がでないので、通常ネタ。

去年の1月も記載したが・・・・・

下記に・・・・

明智光秀の子孫が書いた本能寺の変431年目の真実という書籍がある。

【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)

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何度考えても、この本に記載されている本能寺の変の真実が私は一番説得力があると思う。

一番しっくり辻褄が合うと言うか・・・・

この書籍の説明では本能寺の変は、元々本能寺で徳川家康を暗殺しようとした織田信長が逆にクーデターにあったと言う内容だ。

日産のカルロスゴーンのような感じだろうな。

行きすぎたワンマン経営者がこのままでは駄目だとクーデターを起こされると言う。

それによくよく考えれば、明智光秀は優秀とされていた人物でそんな人物が勝算もなくクーデターなど起こすはずがない。

信長のデスマスクが存在していることも、その光秀が囲んでいる状況下で信長の御首を外に出すはずないのだから、敬意を払ったと言うか敢えて見逃したのではないかという気もしている。

元々は常々徳川家康の能力を恐れていた信長はいつからかどこかで徳川家康を仕留めないと自分が足元を掬われたり自分の子供達が滅ぼされることを危惧していたのだと思うのだ。

そこで、明智光秀がさすがにそれは道理に合わないし、このままいけばずっと貢献していた同盟者を殺そうとするくらいだから、信長の望む事が成ったら優秀な秀吉や光秀もいずれ殺されると言う判断をした事だと思うのだ。

優秀な奴は自分を脅かす可能性があるのだから天下をまとめた後は優秀な奴は不要なのだろうな。

競馬でも相手関係が重要で、どんなに弱い馬でももっと弱い馬と走れば好走する。

戦があるうちはいいが、戦が無くなったら戦に強い武将は邪魔になる。

まさに韓信の「狡兎死して走狗烹らる」という言葉のとおり。

確かにところどころに司馬遼太郎の小説でも推測だろうが、秀吉が大身にならないようにならないように信長に気を遣って力を持ちすぎないようにしていた節があるような記載もあった。

かつて本田正信が息子の本田正純に、自分の死後加増されると思うが3万石以上は受けるなと言っていた。

それを実際15万石加増され、父の予言通り失脚・・・・・

力を望むことはギャンブル同様破滅と隣り合わせだよな・・・・

秀吉もそれを理解していたんじゃないかと思うのだ。

だから、領地を受けすぎないように機微を読み取ったとは司馬遼太郎の言

まあ、そんなわけで「走狗烹らる」を恐れた光秀はやりすぎな信長の内容を徳川家康に相談した結果、逆に織田信長を暗殺すべきじゃないかという話になり、秀吉と家康と光秀により決行されたという話だ。

よくよく考えれば・・・

まず、徳川家康の長男を織田信長は切腹させている・・・

この頃から徳川家の優秀とされた血筋を断とうとしているのが反面、それを断らせて戦に持ち込み徳川家康を滅ぼそうとしていたのも考えられる。

そして切腹した信康も自分が切腹しなければ信長に戦の口実を与えて徳川家が亡ぶことが分かっていたんじゃないだろうか・・・

信長的にはどちらに転んでも目的のためにはオールオッケーな話で・・・・

順番が先か後かだけの話・・・・

また、1582年に武田家を滅ぼした後に織田信長は徳川領を見分しながら帰国している。

信康を除いた後なので、これもいずれ徳川を攻めるための行動と考えれば納得がいく。

元々桶狭間の時もそうだが、信長は地理をよく把握していたと言うし、家康を攻めるときはどうするかという目的と考えたら必然だ。

また、当時堺の町に徳川家の重臣を集めているのも史実のとおりで本能寺でまとめて家康共々討ち取ってしまいその後、情報を漏れないようにして一気に徳川領を攻める手はずだったとされている。

確かに、本能寺後明智光秀の取った行動も不可解だ。

家康のバックアップがある事前提でなければ、信長を討ち取った謀反人として後継を狙う者に常に追われる立場。

そこで近くの味方を抑えに行かなかったのも何かしら勝算と言うか、理由があったと考える方が必然だ。

優秀な人間がそんな事すら分からないはずがない。

そして秀吉の中国大返しも事前の段取りがないと確かに難しい。

だから元々分かっていたと解釈するのが正しいし、本当は家康を頭とした光秀、秀吉の連合政権のつもりだったんだろうが・・・

なんかあった時に秀吉が加勢すると言う内約もあったかもしれない。

ただ、ここで秀吉が黒田官兵衛に唆されて生涯一のチャンスに勝負をかけたと言うのも頷ける。

謀反人という絶好の大義名分はあるし、家康が戻ってくるまで時間はあるし・・・・

毛利家との講和のスピードと安国寺恵瓊の「信長はいずれ高転ぶ」という予言も・・・・

事前に毛利も安国寺恵瓊もこのクーデターを知っていたんじゃないかと思うのだ。

そう考えると、清水宗治に毛利側も降伏してよいと言っていたのにガンコに腹を切った事も余計な事をとなっているのかもしれない。

また、本能寺後の光秀の行動も悠長な行動で不可解な点が多いし、この説はかなり説得力があると私は思うのだよな。

光秀の兵も敵は本能寺に在りと言われても、そこにいたのが信長だと知っていたら躊躇するだろうし裏切りもするだろう。

だから末端の兵の内容的には徳川家康を暗殺するという名目で本能寺に行ったけれども、実はそこにいたのは家康ではなく信長だったと後で知った言うパターン。

そりゃ軍の士気も上がらず野心剥き出しの秀吉の弔い合戦と言っている兵に山崎の戦で負けるよなあ・・・・

そりゃそうだよな、末端の兵士からしたら堪らない。

信長の命に従ったつもりが、いつの間にか天下の大逆人となっており、常に狙われる立場になるのだ。

逃げたくて仕方がないだろうな・・・・

腰の引けた兵士VS大義名分のある兵士・・・

結果は見るまでもなさそうだが・・・・

そう考えると光秀が実は死んでおらず、家康の下で天海になったと言う話もこれだったらあながち荒唐無稽ではない・・・

山崎の戦いで負けたが巧く落ち延びて家康寮に入ったとなれば、家康からしたら命の恩人だし優秀な人物・・・・

状況的に秀吉と覇を争う事にいずれなりそうだし・・・・

当然匿うだろう。

すべて推測には過ぎないが・・・・

後付けで結びつくピースが多いのだよな・・・・

私はこの説を支持しているが・・・・

面白い謎は多いよな・・・・

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