バフェット氏が言うように確かに人は歴史から学ばないのかもしれない

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初代ドイツ帝国宰相であるオットー・フォン・ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残している。

これは、原文はちょっと違っていて、「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」というのが直訳らしいのだ。

でもって、結果的にどう考えても正しさしかないウォーレンバフェット氏だが・・・

その言葉に『我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ。』というのがある。

これを事実なんじゃないかと再度認識させられた。

というのも、多分歴史でこんなことがあったという事実を知っても、それを自分事に置き換えて咀嚼できる人って少ないんだなと。

学んだ歴史も自分の経験と結びつかないと、自分事として考えられない。

以前にも記載したが、始皇帝の秦の宰相に李斯という人物がいた。

最終的には中国で悪臣と呼ばれている筆頭の趙高に処刑されてしまうが、過去に読んだ横山光輝の漫画の史記で有名なエピソードがある。

それが便所のねずみという話で・・・

あるとき、李斯は役所の便所でネズミを見た。

便所のネズミは汚物を食う生活をしており、しかも人間や犬を恐れていつもびくびくしていた。

ところが、ある日米蔵の食料の備蓄を記述していると米倉の中のネズミは穀物をたらふく食ってゆったりとしていて人を恐れもしない。

「ああ、そうなのか」と李斯は思ったのです。

「結局、人間もネズミと同じではないか。賢いとか、愚かだとか言うが、その違いは、才能や努力などという以前に、その人のいる場所によって決まってしまうのだ」

だから便所から米蔵に行こうと決めたという話。

そしてバフェット氏も似たような事を言っている。

私は7フィートの柵を越えようとはしない。むしろ自分が越えられる1フィートの柵を探す。

どちらも比喩だが、場所を探している。

そう、最近思ったのだけれどもどのフィールドで戦うか。

私も思うのだけれども、ポーカーの最格言でもある

ポーカーでどう勝つかの方法についての助言? それは君より悪いプレイヤーとゲームをやることだ。 

これなんだよな。

全部環境の話であって、仕事もそうなんだけれども自分より相手が弱い業界に行く事。

便所ではなく、米蔵に行くことが重要なのだ。

そして歴史はこうやって場所が大事だよとこれだけ教えてくれているのに、自分事として考えられないんだよな。

だから人は歴史から学ばない。

そしてその事実にすら気づいていないとバフェット氏は言うのだ。

やはり頭が次元が違うくらいいいんだろうな、バフェット氏は。

私も会社の仕事は歯科業界に入って、こんなにブルーオーシャンで相手が弱い業界があったのかと驚かされている。

パチンコ業界は凋落の一途で私よりも優秀な人がいくらでもいるのに苦しんでいる。

純粋な能力差で見ても、私のいる歯科業界にくれば楽勝だろうなと思う人は多い。

けれども、場所が便所だからどうにもならないのだよな。

飲み屋もそうで、女の子をアフターに連れ出したければ、客層が悪かったり、トーク力が下手な客が多い店に行った方がいい。

普段、そう言った物に辟易しているので、普通にしているだけで、米蔵に変わる。

一番重要なのは、最初のフィールドを見つける事なんだよな。

言い換えればマーケティングだ。

本来は最も力を入れる場所は、フィールド探しなんだよなと改めて思わされた。

過去に何度も歴史のエピソードを見ているのに、結局自分の事として消化できていないのはその歴史上のエピソードに対する当事者意識が不足していたからで、それが何もしてこなかった事の弊害なのだよな。

何かをしていれば経験則が増えるのでそれが情報とリンクする。

歴史エピソードの書籍を再度読もうかと思わされた。

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