確かに結果はメッセージかもしれない

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さて、ちょっと前に書いた記事なんだが・・・

宇宙一ツイている事を思い出せ、そしてそれを忘れるなという奴だ・・・

そして望まぬ結果は何かが間違っているというメッセージだという事も・・・・

何気に、ツイている理由を書き出していき、やはりどう考えてもツイているよなと思うようにしていると・・・

いきなりラッキーな事が起きた。

それが神奈川県の時短要請・・・・

10月末から経営している飲食店の売り上げが急激に落ちており・・・・

思ったより赤字じゃない状態から想定よりはましだけれども半年営業して赤字が拡大していくというなかなか笑えない状態・・・・

時短要請の協力金の1日2万円は非常にありがたく、通常の私の目標売上になっている・・・

東京都も時短要請延長したし・・・・

神奈川県も延長してくれないかなと思っていたら・・・・

かなり手厚い内容になって時短要請の延長が行われた・・・・

12月17日までは一日の時短協力金は2万円だったが・・・・

12月18日から1月11日はなんと協力金1日4万円・・・・

赤字が拡大しているのは変わらないけれども・・・・

これで1年は持つんじゃないかと思えるので・・・

非常に助かったのとラッキーだ・・・

国の力の偉大さを知れたのも、当初辞めようと思っていた飲食店を続けたからのもの。

補助金だけで私の年間の可処分所得位になるんじゃないだろうか・・・

といっても自分の懐に入るというよりは・・・

スタッフの人件費払って、父の存在した証の店を継続させるためだけの出血を止める止血にしかならないが・・・

延命ができる事が大事なので・・・

与えられた時間でどうやって生き残りをかけるかを考えられる。

ただ・・・

ラッキーであることを思い出した瞬間に望む結果がいきなり起きてくれたことは、これは自分の力の外の事だけれども・・・・

やはり考え方がすべてなんじゃないかと思わされたのだ。

受け止め方次第で結果を捻じ曲げる見えない偶然の要素がいい方に転がってくれるんじゃないかと・・・・

よくよく考えれば・・・

競馬の結果の鼻差なんかも・・・・

本当に目に見えないちょっとしたかみ合わせで変わるもの・・・・

昔よくやり込んだPSのサウンドノベルゲーム「街」もそうだが・・・

他人のちょっとした何かの行動が他に影響を大きく与えたりする。

自分のちょっとした考え方の変更による、行動の変化が何かの結果に大きな影響を与えてもおかしくはない。

無論、因果関係は説明できないけれども・・・・

ただ、私がこうして書いた文章を読んだ誰かが何かの行動を変えるだけで、何かが変わるかもしれないのだよな・・・

望まぬ結果は何かのメッセージだからそれを考えて改善しろと良く言われている。

確かに・・・

メッセージを受け取っている人は私を含めて多数いるが・・・・

受け取ったメッセージを治そうとする人、直せる人をほとんど見かけない。

私を含めてだけれども・・・・

酒乱の人は酒乱を継続して失敗し、受け取ったメッセージを何度も受け取る

暴れる人は何度も暴れて、同じメッセージを受け取り続ける

結果に否定されるというメッセージを受け取っても、何が間違っているまでは教えてくれないので・・・

そもそもメッセージが届いていることすら気づいていない人は多い。

私はメッセージが来ているのは分かっているが、何についてのメッセージかがつかめていないのだよな・・・

ただ・・・

もしかしたら、宇宙一ツイていることを忘れているという事に対するメッセージなんじゃないかと思っている。

ツイているという視点に立つと、ツイているのだから何かしらラッキーな意味があると考えるようになるのだ。

そうすると、それがどういうメッセージなのか、どういった事でツイているのか理由を探すようになる。

そのアンテナの立て方が気づきになるんじゃないかと思ったのだ。

私の場合はまだ確勝はないが、宇宙一ツイている事を忘れているよというメッセージだったのではないかと今は思っている。

その方向で考えようとは思うが、ヒントはくれるが答えはくれない。

だからこそ、すべて私はツイているからこそ、起きた結果には何かしら必ずラッキーな理由があるはずだという視点で考えたいと思っている。

そう考えると、時短延長の補助金もラッキーだし・・・・

止まっていたすべてのアイデアなどが動き出した感じがしている。

これが正答であって欲しいが・・・

なんとなく手応えは感じているんだよな・・・

ただ私に限らず、すべての人間はツイているはずなんだよな・・・

この世に生誕しただけでどれだけ薄い確率の宝くじを引き当てたか・・・・

その中で五体満足で誕生したのがさらに狭き門・・・・

事故に遭わなかったり、病気にならなかったり、41年生きてきて生命の危機に一度も直面していないだけでどれだけ幸運な事か。

20代で病死する人もいる中で、そろそろ折り返し地点で平安時代位ならもう寿命を意識しなければならない年齢なのに酒を飲みながらピンピンしていられる。

そして、諸々気づけるだけの思考力が与えられている。

どう考えてもラッキーだよな・・・・

就職氷河期も切り抜けて正社員のみやっているし、赤字とは言えやり方次第で黒字化できる飲食店も3店舗持っている。

営業も自分で架電なんて泥臭いことしないでも協力してくれる代理店が売ってきてくれるので、完全成功報酬の社外部下をたくさん持っているような状態にできたし・・・

年収1000万円超えの友人も何人もいて、その考え方に触れることもできるし、初海外が無料招待とか普通ならありえない。

これだけラッキーな理由があるのだから、間違いなくツイている。

だとしたら起きている結果が塞翁が馬のように一見、不運のように見えても必ず何かしらラッキーの種があるはずなのだ。

さて・・・

そんなわけでちょっと厄年で流れが悪いと思っていたが・・・・

そろそろ厄年も終わりかなと思っている。

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