信じるという行為は、騙されるというリスクを合わせて受容する、ということなのだ。 森巣 博

スポンサーリンク
神奈川県社会人競馬サークル
さて、これは前々から考えていた事ではあったんだけれども・・・・ 今回の父の通夜で絶対にやろうと決めたのだ。 私は、社会人競馬サー...
復活した後輩のブログ

復活した後輩の競馬予想ブログ

泥沼の競馬予想
N島出版のkindle本

N島が出版した営業本

Amazonでラッキーしか起きないN島, 100出版所のクレーム率100%から成約率80%への逆転営業術: 誰も教えてくれない本当に売れる営業の基本。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。

信じるという行為は、騙されるというリスクを合わせて受容する、ということなのだ。 森巣 博

作家、ギャンブラー

ギャンブル系の小説を多々記載しているらしい。

これまたまさにその通りだ。

ある意味信じると言う行為も博打そのものじゃないだろうか。

人は必ず、何かの行動をすることで対価を受け取っている。

無償なんてものは厳密には存在しない。

というもの、結局突き詰めれば無償で行う行為も、その対象の喜びを見たいとか感謝を得たい、時間を共有したいといった目に見えない対価を受け取ることになるからだ。

少なくとも、等価交換ではないにせよなんらかの交換は生じる。

最終的には信がすべてと以前に書いたが・・・・

今でもそれは間違っていないと思う。

だが、信は逆にいえば騙されるリスクでもある。

そのリスクと、安全とを天秤にかけて張るのだから・・・

これも十二分にギャンブルだと思うのだが。

そんな人だと思わなかったというのはそもそも判断をミスしているわけで、ギャンブルだと思えば、リスクヘッジの甘さを思い知るだけだと思うのだよな。

繰り返しになるが、ギャンブルの必勝法は負けないことであり、負けないためには相手のミスを誘発し、自滅をさせることなのだ。

そして・・・

人生をうまくやるコツは損失をそっと次の人に回すこと。

さらに言えば・・・

見る人によっては・・・

生きている営みのほとんど全てが、賭けの連続である。 安部譲二

そう考えると・・・

信じる対象の判断ミスは・・・・

賭けに負けていることになるのだ。

負けたらろくなことはない。

すべてが勝負事ではないと言う人もいるが・・・

ギャンブラーと言う人種はそうは考えない。

と持論をマキャベリのように熱弁してみたが・・・・

こんな風に解釈してみた・・・

ただ、人は必ず何かを信じないと正誤の判断がつかない・・・・

情報が疑わしくても、疑わしいと思う感性だったり何かを信じているわけだ・・・・

ブログ村

↓応援よろしくおねがいします。
にほんブログ村 競馬ブログ 単勝・複勝へ
にほんブログ村

リンク




競馬予想について
たまに問い合わせメールが来るので・・・

リンクを貼れば、そのまま回答できるように再度記事として記載しておこうと思う。

よくメール…

N島の糖質カットダイエットブログ

N島の糖質カットダイエットブログ

炭水化物カットで3か月で20kg痩せたアラフォー男の糖質カット再ダイエットブログ

シェアする

フォローする